Friday, July 31, 2009

二十面相?

よく分ったね明智君。


歳を取ったせいか、もともとそうなのか、思い出すのに凄く時間がかかります。やっと、ジプシー キングの名前を思い出して、CDを図書館で借りることができました。歌は頭の中で奏でるのに、名前がでてこない。そうなるとCDを探そうにも探せない。困ったものです。

実は私には2人の私が存在します。友達はJunko A, Junko Bと分けて表現しています。人格が2人いるのではなく、普段の私とチャンネリング(情報を得ようとしている状態)中の私がいるのです。私の中で、スイッチがあって、それをON OFF にしているのです。リーディングをしているときは、かなりチャンネリング中なので、普段の私は少し影に隠れています。

リーディング中にときどきクライアントの人が、私自身に対しての私的な質問をする方がいて、それに答えようとすると、普段の私がニョキニョキと出てきて(そうでないと答えられないから)、チャンネリングしている私と普段の私とで混乱を招いて、とても困る時があります。

かるくチャンネリングしている時は、別にいいのですが、仕事でリーディングしている時は、深く入っているので、普段の私の部分が多く出てくると戻ってしまって、また集中するのに、時間とエネルギーを使ってしまいます。

なので、リーディング中に言ったことは、ほとんど覚えていません。まったく覚えていないわけではありませんが(普段の私は影にいるので)、普段の私の時に、こう言いましたよね、と言われても思い出さないです。またスイッチをONにしてリーディングしていたその状態に戻らないと、思い出しません。

私をよく知る人はきっと、チャンネリングしている時とそうでない時の私が、顔を見て判断できるのではないかと思います。リーデングをしている時の他人からの私のイメージと、普段の私のイメージがかなり違うからです。

このブログは特殊才能を持っていても普通の人であることを、赤裸々に語っていると思います。丸裸になる事への私なりのチャレンジです。それでも、その才能を生かして、ものの仕組みを話し、少しでもいろいろな人に気づきをもたらせられたらと思っています。

チャンネリングしている時の記憶の良さは、驚くくらいですが、普段の私の記憶の悪さは困ったものです。チャンネリングして思い出せばいいと思うかもしれませんが、そうは問屋が卸してくれません。情報のソースが違うせいかもしれませんね。でも、ジプシー キングの曲が聞けてうれしい。

Wednesday, July 29, 2009

感じてごらん♪♪

感じることしか魂と通信できない。


イギリス、ロンドンでジュード・ロウ主演の劇「ハムレット」(Hamlet)がヒットして、秋にブロードウェイで公演予定の記事をみて、私も見た~いと叫びながら、多分チケットが高くて買えないだろうな、と思いながら夢を抱いています。ジュード・ロウは二枚目ですが、それだけでなく演技力もあるので、好きな俳優さんの一人です。

ハムレットで有名な台詞は、「死ぬべきか、生きるべきか、それが問題だ」( To be or not to be: That is the question.)。 二者選択。人生において二者選択をする時は多いと思います。ハムレットも悩み、葛藤するのです。

選べないことには先に進めないので、先に進むには行動(選ぶ)しかありません。人によっては余り悩まずに、とりあえず行動が先と考え、こっちだーと選択して行動に移る。方や選択したものを後悔したくないので、自分が納得するまで慎重に考えてから、行動に移る人。又は、締め切りや時間制限があったりして、考えて選択したいのに、その余裕なく、物事に押されるように行動する人。果ては、悩んで考えても、これがいいんじゃないかと思いながらも、行動に一向に移らない人。それぞれ、自己パターンや状況に置いていろんな場合が出てくると思います。


以前に葛藤するのは、自分の弱い所を克服する機会。葛藤するのは成長をうながすのではと、述べました。葛藤する時は、何かを選ぶ時だけ発生するとはかぎらないので、さして悩まず、直感で選んで行動する人でも、何かしらの葛藤は発生すると思います。もし、葛藤の無い人がいたら、それはもうジーザス(キリスト)レベルのひとで、自分のやるべき事がはっきり分っている人です。(ジーザスも最後には葛藤していたような気もしますが。)

二者選択の機会の場合、行動が起こらないことには、始まりません。悩んで考えて葛藤しても、次に行動がないと成長しません。だから、葛藤は自分の弱い所を克服する機会で、成長をうながすだけで、悩んでいるだけでは成長しません。経験が成長を生み出すのですから。

行動したくても、選択できない。。。

どんな選択でも、間違いはありません。実は二者選択は○×(マルバツ)ではないからです。だから選択したものに対して後悔する必要はないのです。世の中に良いも悪いもなく、正しい、間違いはないからです。

ただ、選択する時に自分がやりたい事や、こうなりたいという事は自分がよく分っているので、自分のなかに最善の答えがすでにある事です。悲しいことに、頭の中には無いのです。簡単に言うと、魂に聞きなさい、となります。(これが難しいかも。)

自分に素直になって、感じて下さい。周りの状況とか考えずに、ひたすら自分が何を望むのか感じて下さい。考えないで、感じることです。そこに回り道しない道筋があります。

それをしないと、時々軌道修正が必要になってきたりします。見るからに自分に対して盲目でいるように見えている、本来の目的とは違う方向に行きだしている時があるからです。何故か頭で考えて行動すると、そうなりやすいですね。

そんな時には人が助けてくれます。そっちに行くなと言って軌道修正してくれます。だから、人ってありがたい。してくれないのは、人にも自分にも労わりの心が無い時です。軌道修正されないのは、それに気がつかせるためです。

全てはうまく行く様に回っています。うまく行っていないと思うのは、頭の中の自分です。
力を抜いて、リラックス。

Monday, July 27, 2009

色を持つものの功用

石されど石。


ゴールデンバースディって知ってますか?たぶんアメリカではメジャーなのでしょうが、私は以前に聞いたことがなかったです。生まれた日と実際の歳が同じ数字になった誕生日をゴールデンバースディというそうです。アメリカ人の友人が明日そのゴールデンバースディを迎えます。

その友人への誕生日プレゼントとして何がいいか悩んだ挙句、ジェムストーンのブレスレットを作ることにしました。彼女の為に石を選んで、石の意味と効果を合わせ、彼女にぴったしの石で作りました。日本に居たときに、石のスピリチャルなアクセサリーを作っている人に付いて勉強させてもらったので、その時の経験と特殊能力を生かして作ってみました。石同士で折り合いのあわない同士があるので、その辺の感じを掴まなくてはならないので、選択も色だけでは選べません。それにニューヨークシティと違って田舎のミネアポリスでは、ストーンビーズがあるお店を探すのに苦労しました。同じ石でも、パワーのあるものや無いものがあるので、実際ビーズを見ないと買えないので。作った後は水と太陽光と月光での浄化とエネルギー補給、それに私のパワーを入れ込んで完成です。

 
プレゼント用 ラピスラズリ、ルビー、アベンチュリン

私も自分用にジェムストーンのブレスレットやアクセサリーを幾つか持っています。もともと石にはとても興味があり、惹かれます。今日のメールの中で、友人が博物館の石が置いてあるセクションがとても好きだと書いてありましたが、私も大好きで、隕石においては、すごいパワーを感じ目眩を起こさせます。

 
私用:フローライト、水晶


 
私用(いつも身に着けています): ヘンプ編み、点眼石(ダライ・ラマ法王(ダライ・ラマ14世)が身に着けてます。)いただき物です。

日本での石との経験はとても私には楽しく、いろんな石と触れ合い、石の持つパワーを実感しました。ときどき石によっては、触っていると余りにも気持ち良く、ずーと手の中に持っていたい感じになります。物によっては、手の中が熱くなります。土も元来石から出来上がるので、土との触れ合いが多い私にとっては、石との触れ合いはとてもわくわくします。地球からのエネルギーを感じ、ありがとうと言いたくなります。

石の持つ効果や意味を、信じるか信じないかは各人に任せるとして、色々な色がある石達はとても面白いですよ。一度博物館に石を見に行って見るのも、いいと思います。パワー補給になるかしら。

P.S. ストーンブレスレットに興味ある方は、ご一報ください。簡単なリーディングと共に合った石を選んで、お作りいたします。値段は使う石によって違うので、ご相談しながら作っていきたいと思っています。sakuyahime88@aol.com まで。

Sunday, July 26, 2009

デジタル中毒

脳が犯されているかも。


この頃まじめに毎日ブログを更新していると思いませんか? 実は私のラップトップの内臓ワイヤレスの調子が悪くて、インターネットにアクセス出来ないので、インターネットに時間を取られていた分を、ブログ書きに廻しているからです。

前回同様、ワイヤレスが動かないのには理由があるようで(どんな理由なのかは知らないけれど、動かないのは困る)、ブログ書きにまい進しております。今も図書館でこれを書いているところです。

図書館はとても素晴らしい、アイディアです。太古から図書館はあって、人間の知への追求は深いものがあります。公共図書館は暇な人から勉強する人、子供の遊び場から研究の場として幅広い活用がなされ、今ではコンピュターの設置が当たり前なので、パソコンの持っていない人や暇潰しに来ている人にはもってこいです。もちろんワイヤレスでインターネットにアクセス出来るので、ラップトップPCを持ってきて、自分のPC環境下で作業ができます。ここミネアポリスは結構図書館が充実していて、ダウンタウンにある大きなセントラル図書館は私のお気に入りです。たぶん5年くらい前に建てられた、比較的新しい図書館です。ワイヤレスが使えない私は、もっぱらブログ書きと音楽CDのダウンロードをしています。

図書館では本は読みません。本を読み出すと寝てしまうからです。涼しい室内で本を読んでいたら眠くなります。知らないうちに寝てしまうと、ガードマンの人に起こされます。ここのガードマンは、ニューヨークシティの図書館のガードマンほどぶっきら棒ではないですけど(もちろんNYCの図書館で寝た事がある)、起こされることには変わらないです。

子供のころは本を読むのが大好きで、実家の近くに図書館が無かったので、図書館の近くに住みたいとずーと思っていました。孟母三遷の教えではないですが、図書館の近くに住んでいたら、もうちょっとは頭が良くなっていたのではないかと信じてやまなかったです。通った学校の図書館も本が充実しているとは私には思えなく、高校においてはエレベーターのない建物の最上階にあったので行く気がせず、読書好きを返上せざるを得ない感じでした。

もともと積ん読傾向がある中、歳を取ってますますその傾向が強くなって来ました。本がある事で安心する私なのですが、読む本があることの安心より、単に本がある事の満足感になってしまっているような気がします。今や、インターネットの無い世界に行かないかぎり、本を読む時間が持てない気がします。友人Mが、テレビを見ないといっても、インターネットをしていたら、それは同じ事、といっていましたが、まったくもって、テレビがインターネットに取って変わり、中毒になっているのは間違えないです。なにせテレビのように相手が発信してくるのを単に受信するのに対して、こちら側が選んで情報を得ることの出来るインターネットは、より中毒になり易いです。

本というモノラルは、消えてなくなってしまうのでしょうか。そうなると寂しいです。でもワイヤレスが動かなくなってしまい、いまやローカルに繋いでも繋がらなくなってしまった、私のPCは私への教訓なのでしょうか? それにしても、困った。

Saturday, July 25, 2009

上手くいってもラッキー、上手くいかなくてもラッキー

後になって分かる事。


どうしても上手くいかない事や、失敗したなと思った後に、はたと気が付いたら、実はこうなる様になっていたのかと思う時はありませんか? 上手くいかなかったり、失敗したと思ったことが、実はこうなる為だったのかと気が付く事、ありますよね。

引越しをした友人Mが、引越し先のアパートに電話会社とのトラブルで、なかなか電話を使える事が出来なくて、やっと電話が通じるようになったかと思うと、今度はインターネットが使えない状態で、ヤキモキ(気が狂いそうだった?)してました。友人Mはインターネットを使って仕事をしているので、使えないと仕事が出来ないので、余計にイライラしていたのです。結局引っ越してから20日間たって使える用になったのです。使えるようになったとの電話報告の中で、こうなる(繋がらない)様になっていた事に、やっとのことで電話会社の人が来る日の朝に思ったそうです。上手くいかない理由が、インターネットが使えていたら、仕事が出来るので、引越しの片付けをしていなかっただろうと思うと言うのです。家(引越し)の片付けが中途半端だと、気持ちもすっきりせず、仕事にも集中力を欠けてしまうと。そうです。その通りです。

インターネットが繋がらない-> 仕事が出来ない-> 時間が出来る-> やることが無いので家を片付ける-> 電話会社と揉めているので人の助けが必要になる-> 助けを求める-> ついでに家具を買うのも手伝ってもらう-> 相手は事情が分るのでよろこんで助けてくれる-> 家具を買う-> 家具があると一掃家が片付く-> 気持ち良く住める-> 気も流れる-> インターネットが繋がる-> 気持ち良く仕事が出来る-> 仕事が上手く行く。 といった流れになり、インターネットが繋がらない理由が見えてくるのです。

電話やインターネットが繋がらない時に、私はMに、繋がらないのには、繋がらない訳があるだよと言ったのですが、本人が余りにも絶望の淵にいて、もういや死にたい気分だーといって私を笑わせてくれました。実は別の見えない訳はありありでした。

実は私も昨日このようなケースを体験しました。

その日シェアしているマッサージの部屋が一日使えると思い間違え-> 張り切って朝起きる-> なぜだか使えなかっPCのワイヤレスが使えるようになって、インターネットで宣伝を出してやる気まんまんになる-> Mから電話がありここに書いた話を聴く-> 急に昨日書いた下書きのブログが気になり読み始める-> 仕事場になかなか行けない状態に陥る-> お昼頃に電話が鳴り、お客さんが仕事場のある建物にいるので、今すぐマッサージを受けたいといいだす-> 今すぐには出来ないので待てるか聴く-> 待てないと言われ、客を取り逃がす-> やばい失敗したと思い急いで仕事場に行く-> 部屋にはすでに用意がされていて他のセラピストが使うのを思い出す-> 彼女のアポイントまで時間があるのでこのまま部屋にいて、お客さんからの電話を待つか悩む-> 部屋の感じが私が使えるような気がしなかったので、昨日行けなかった図書館に行くことにする-> 自転車で走っている時に大きな教会の前にオープン トゥデイの看板を見かける-> 立ち寄るがどうか一瞬迷うが行こうとする-> と直ぐにパトロールの人に止められ、その時間は自転車は通れないと言われ、自転車を降りる-> 自転車を降りたのでそのまま教会に行くことにする-> 教会に入る-> 綺麗なステンドグラスが多い内部にホットする-> 誰もいない教会の席に座り祈る-> 涙が出てくる。

普段からとても稼ぎが悪いので、少しでもお客さんを取りたいと常々思っているので、それを取り逃がすのは痛く、あ~もっと早く家を出るんだったと後悔したのですが、実は前々から母に父が病気なので、教会に(別に我が家はクリスチャンではないのですが、祈ると言う意味での場所として)行って少しでも祈ってと言われていたのに、なかなか教会に行けなかったのです。今住んでる隣は教会で、近所にいっぱい教会がなぜかあるに、行けなかったんです。私はクリスチャンではないのに教会にはとても縁があって、いい古い教会に行く機会を持てます。大抵誰も居ないことが多く、私は教会で祈ると涙が出るのです。(過去世からの繋がりからなんだと思います。)

そんな訳で、上手くいかないようで、上手くいったのです。心の中に何かやらなくてはならないのに、それをやっていないと、仕事とかがはかどりません。心の中に引っかかっているものに、気を(文字通り気の気です)取られるからです。気の流れが悪いと入るものも入りません。

上手くいかない時は、上手くいかない意味があるんだと思い、自分を責めない事です。すごく気持ちが楽ですよ。上手くいっても、上手くいかなくても、物事は常に上手くいっているのですから。本当の理由があるのですから。

Friday, July 24, 2009

音の響き

波動の持つ力。


クラシック音楽はとても好きで、よく聴いています。ロマン派のオペラ音楽は今の映画音楽ですね。きっと映画のサウンドトラックはオペラ音楽の影響を色濃く受けているかもしれません。ロマン派のオペラ音楽はとてもドラマちっくで、物語展開が速そうなのを想像させます。特に私はリヒャルト・ワーグナーが好きで、1曲の中に冒険あり、サスペンスあり、恋愛あり、悲劇ありと聴いてるだけでも楽しめます。もちろん聴くだけでなくオペラを見ることも好きです。見たいな~オペラ。

音楽はサイエンスとフィーリングの結晶です。一定の法則の中に、法則では図れない感情を織り込みます。規則がある中で、規則に縛られない自由な感覚を表現するのです。それを楽器を通して音と言う波動にのせて伝えます。

私がオペラが好きなのは、総合芸術で、尚且つ人間楽器(歌手)があるからです。肉声は一番体に入り易い、受け取り易い波動なので、自分の持つ波動と共鳴します。とてもよく共鳴すると感動が起きます。それはもう宇宙に行った感じで、心の中を揺すぶられ、法則がありながら、自由でいる。安定と調和があり、何か一つになるような一体感を感じさせます。

共鳴すると感動を呼ぶだけでなく、時には共鳴すると深い瞑想に入れます。浄化にもなります。とても疲れているときに自分の好きな音楽、とてもすばらしい音楽を聴くと、疲れが取れます。聴いているだけで、疲れが取れるのです。音楽家奈良祐之さんの音の世界を聴いていると、瞑想状態に入れます。最後には無の状態になって、宇宙まで行けます。音は本当に魂から揺さぶる事ができ易い、波動です。

音楽を聴いてリラックスするのはお勧めです。音楽マニアの人は別として、意外と音楽を家でじっくり聴くことは少ないのではないでしょうか? 曲を聴きながら、ぼーとするのはいいですよ。私の場合は、時間の流れを感じなくなり、自分が別の空間にいる気持ちにさしてくれます。生演奏だったら、もっといいけど。。。。

Thursday, July 23, 2009

何を知る人ぞ

ソクラテスかプラトンか。みんな悩んで大きくなった。


映画「Powder」(パウダー 1995年)を見ました。いい映画ですよ。泣きました。

胎児の時に母親が落雷にあい,アルビノ(白子)で生まれた少年ジエレミー(ニックネーム、パウダー)は不思議な目の色,驚異的な知性,そして超常的な力とを持っていた。心優しい孤独な少年は不気味な外見と不可解な力を持つゆえに苦難の道を歩むことになる。

この映画の中で流れてくる音楽が、図書館から借りてきたアルバムCDの中に入っていて、その曲を昨日偶々(偶々=必然)聴いて、大学院時代のことを思い出しました。大学院の陶芸のスタジオでよく聴いていた、サラブライトマンのアルバムCDの中にもこの曲が入っていて、その曲が流れたときに友人がこの映画の事をいっていたのを、思い出したのです。以前に見たことがあるのですが、再度見ることにしました。

ラストシーンの辺りで、人間は無知の知を知ることが重要だと思ったのです。知らないことが多すぎることを認識すべきたと。一昨日に自転車に乗っているときに何故だか、無知の知、という言葉が頭の中を駆け巡り、無知である事を認識する知識があって始めて、真の知識を得られるのではないかと思い、ソクラテスはいいこと言うな~と扱ぎながら思ったのです。そのことを思い出して、いろんなものがリンクしていると感じました。

パウダーは外見上の異質の為に、他人の接触なしに祖父母に存在を隠すように育てられました。故に純粋さや自然からの感受性を保ち続けること出来たのではないかと思います。祖父母が亡くなった時に、外部に出なくてはならなくなり、そこから苦難が始まります。人々の偏見、いじめ、超常現象に対する恐れ、目に見えない力の懐疑心が彼を襲います。それらは、自分が無知であることの認識のない行為です。偏見は相手を知らない恐怖への代用。いじめは己を知らない恐怖の為、超常現象の恐れはまだまだ浅い科学への依存、目に見えない力の懐疑心は自然共存の欠如です。まだまだこの世界それらが横行していて、映画の主人公のような人間は生き辛くなっています。

我々はまだまだ何も知らないのだから、それを自覚することによって、謙虚になり、真の知識を入れることによって、それらが横行しない世界が創れるのでしょう。無知であることは恥ではなく、無知であることを知らないのが恥じであると思うのです。真の知識は日常に転がっています。バカだな~と思う前にそれが当然なんだから、学べたことを感謝したいです。もしかして、バカほど感謝できる?

Wednesday, July 22, 2009

キャスティングの上位

始めに親ありき。


親と子との問題ほど複雑怪奇なことはなく、古今東西この関係に悩まされて来たのではないでしょうか。親といっても男女カップルからなるものなので、夫婦間の問題も当然子供に影響しますから、三者一体となった問題です。二者間の問題でも大変なのに、三者が入り組んでいたらもう原因がなんだか分りにくいのも当然です。

よく子供が言い訳として、勝手に生んだのはそっちよ、と親に全ての責任があるかのようなことを言うことを聞いたりします。そうではなく子供が生まれる前に両親を選んで来たのよと言ったりもします。私としては、親子双方が生まれる前に親になる相手と子になる相手を選んでいるように思えます。では親が生まれる前にすでに子供が決まっているのか?決まっていると思います。親の人生のシナリオのなかで登場する子供は、登場人物としてキャスティングされているからです。大抵は子供の方が親よりも古いソウルの場合がほとんどです。(私は親より子の方が、若いソウルの子供を見たことがありません。)

たぶん親が生まれる前に、親子関係下で学べる相手を見つけて、親側が学びたいことを子供と協議して、まず親が生まれてくるように感じます。大概古いソウルが、それよりも新しいソウルの成長の助けをするからです。そうなると子供である私たちは、親と決めた協議を元に親の成長を助けなければならない立場にいることになります。自分の事でも大変なのに、親の成長を助けるのは気が遠くなりそうです。役目なので仕方がないです。

反対に子供の方も学びたい事の場を提供してくれる親と協議して、生まれてくるのだと思います。なにせ、親側の方が先に現世にいるので、おのずと場所は作られているからです。
双方の間に、各々の課題が遂行できるよう、シナリオ製作はされているのだと思うのです。人生の大半の課題は親子関係の中で学ぶことが主になっているように見えます。お互いの付き合いは現世においても、過去世においても長いですし。

親の立場としては、自分の成長を助けてくれる子供に感謝しています。多くの子を持つ人が、子供に感謝しているというのを聞きます。親はときどき頭にくると子に、感謝しろ、と言ったりしますが、子は親に感謝しろ、とは言わないです。なぜなら、感謝されているからなんですね。だからと言って、子供が親に感謝しなくていい話ではないです。お互いが感謝するのは、自分の成長が感じるからなのではないでしょうか。

一番近いから手っ取り早い問題なのに、一番厄介な問題。お互いの助けが必要なんです。なにせ協議上でのことですから。約束したの?

Tuesday, July 21, 2009

絡まるツルはよく伸びる

成長の過程で。


時々耳元で、ジキル博士とハイド氏やデヴィルとエンジェルみたいな自分の化身2人が、囁きませんか?(実際は心の中ですけど。) 私の耳元ではよく2人が私に話しかけます。それによって苦しめられることしばしばです。

心の葛藤はなぜ起きるか? 友人M曰く、人間、心の葛藤がなかったら成長しないでしょ!葛藤するのが人間、と言っていました。まさしくその通り。葛藤するのが人間。葛藤なくして成長せずです。人生の中で何かを選択しなくてはならない事が、数多く発生します。人生はまるで選択ゲームのようです。その選択するもの事を決める度合いによって、葛藤が始まります。選択する事が簡単な物事ならいいのですが、そうでない物事に対しては、選べないのでとても苦しいです。なにせ頭と心の賛同を取らない事には決まらないのですから。気持ち優先にすると、頭が整理できない。頭を優先にすると、気持ちがしっくりこない。でも選ばないと進まない。選ばないとどうして良いのかわからず、ストレスを自分で生み出してしまう。誰か助けて欲しい~神様~、となります。

しかもいつも対極にいるような化身が現れて、悩ます。あれを取ろうとすると、それでいいの?とつぶやく。ではこれと取ろうとすると、これじゃねぇ~、と別の声が言ってくる。少しは冷静になって、頭で状況判断しようとしても、空回りし始め、気持ちがそれに対してストップをかけてくる。迂闊に判断されて選択されては困るからです。

どうしたら、選択出来るか? 選択出来れば葛藤は治まるので。これはとっても難しい。葛藤は成長するためにあるので、そう簡単に本人に選択は出来ないようになっている。でもいつも選択するための要素は身近にあるので、それに気が付きさえすればいいのです。
では、どうやって気が付く? 人に相談するのは、人が第三者の目で客観的に状況が見えるからで、客観視出来れば頭の整理が付きます。頭の整理ができたら、心の引っ掛かり、湧き上がる気持ちの原因が、何なのかを突き止めることです。そうするとその要素に気が付くわけです。これが難しいのでみんな葛藤しているわけなのですが、要は、自分の弱い点を自ら突っつくことです! 心の弱い点、性格的に弱い点。大概はそれの克服がキーポイントになって葛藤しているからです。克服しないと成長しないからです。克服できないと同じ様な葛藤がその都度出てきます。弱い点はいくつもあるので、克服の機会は何度も現れます。葛藤が起きたら自らの弱い点を克服するチャンスです。

またそれと関連して、私自身に多い葛藤ですが、すでに選択して物事を良い方向に進めているにも関わらず途中で、こんな事してていいの?こんな事何の役にも立たないよ、と言ったようなことを囁く化身がいます。その都度、え??いいの、これでいいの!と思い直します。いつも何でそんな考えが出てくるのか葛藤しています。なにせ邪悪的な囁きなので、あ~デヴィルだ~と思ったりしています。(世の中にはデヴィルもエンジェルもいないのですけどね。善も悪もない世界。すべてに理由があるからです。)たぶん、どこか心に迷いがあって、完全に納得していないので、確認をするかのようにそんな考えが浮かぶのかもしれません。心の中でデヴィルとの葛藤。それはもう煩悩との戦いです。

葛藤という言葉は葛や藤のツルがからまり、もつれるさまから来ていると辞書には出ていましたが、葛や藤のツルはからまり、もつれているさまは、無造作にそうなってはいないと思います。葉は必ず太陽の光が照らされるように生えますし、先へ先へ伸びる事ができる様にからまっているからです。しかも葛は成長が早い。そこには一定の法則があって、早く成長するにはからまっていたほうが都合がいいのかもしれません。葛藤すればするほど、成長が早まるのかもしれませんね人間も。

Sunday, July 19, 2009

はじめに言葉ありき

内緒話ができない?


曲を聴いているとミュージシャンはよくこんな言葉が見つかるな~と関心することがしばしばあります。誰にとっても心打つメロディーと歌詞があると思います。昔から、言葉は言霊と言われ、言葉は単に意味を含んだ音でないことがわかります。

もし、誰かと人の悪口を言っていたら、悪口を言われている本人のもとへ見えないエネルギーとしてそれが伝わっていたとしたらどうしますか?相手の意識下では認識されないけど、潜在意識又は無意識の下では何を話してるか解っていたとしたら。。。

実際言葉のエネルギーはとても強いものです。言葉が波動となっているので、その波動が今住んでいる世界から宇宙まで放たれます。ですから、本来言葉は慎重に使わないといけないものなのですが、今の社会はそれに鈍感です。TVやラジオで何度も同じ事をいって視聴者に影響を与えたり、言葉は暴力とも言われるように、罵倒は言葉の意味だけでなく、波動も含めて相手に打撃を与えます。普段の言葉使いも荒くなると、荒い波動を宇宙までとどろかせていることになります。宇宙まで届くのならば、相手の居ないところで話ても、相手に伝わるのは不思議ではありません。

リーディングをしている最中に、会話をしている人でない人の事を話ている時、話題になっている人の写真を見ていると、その写真の人物が潜在意識の中で私とクライアントの会話を聞いて、それについて感じている事が写真を通して分るのです。だからと言ってその本人に聞いていた?と討たとしても、本人は何の事だか分らないのは当然です。しかし、伝わっているので、何かの拍子にそれが表面化するかもしれませんし、相手も何となく察しがついたりするかもしれません。

となると、口は災いのもとです。すべて口に出したことは外に発信されるので、迂闊にものも言えません。反対に、何か問題がある時に人に話すのは、見えない波動が当事者にも伝わるので、問題解決が早くなるかもしれませんね。ま~その時に決して単なる悪口ではないようにしたいですね。感情は感情でしか応対できないので、よけい問題が悪化するかもしれません。冷静に。一番いいのは皆が幸せであるよう言い続けることですね。言葉は現実化させますから。

Thursday, July 16, 2009

パラレルワールド

ここは夢か現実か。


友人の推薦で日本アニメの劇場判「鋼の錬金術師」を見ました。錬金術師の兄弟が彼らの住むパラレルワールド(Parallel universe or alternative reality )とこの世とに兄弟が離れ離れになって、その狭間にあるゲート(門)を開けて、お互いが再会する話です。パラレルワールドの発想は文学から映画、漫画まで古今東西使われていて、わくわくします。

この映画を見た後、前回の感情が過去世とリンクする事とかがきっかけで、パラレルワールドの事を考え、以前は在遥か彼方か、どこかにある異次元にそれが在るものとだと思っていたのですが、実は潜在意識のなかにパラレルワールドは在るのではないかと思ったのです。

魂は全てを記憶しているので、リーディングはその記憶を通して見ているのだと思っていました。しかし感覚的には潜在意識に入っているように感じるので、そこに記憶が貯蔵されているのだと思ったのです。実際、どこかに全ての記憶は貯蔵されています。ただ、記憶はその人が感じたり、見たりしたものだけが、記憶として残るのであって、その人が見たりしていない事には記憶はないはずです。それが、リーディングするとその先の未来が見えたり、過去世でその人が死んだ先の話が見えたりするので、単に記憶の問題でないことに気が付きます。そう思うと、もう潜在意識のなかに、パラレルワールドが存在し、その人が作り上げて来た世界(過去世での経験やドラマ)があり、生まれる前に創ったシナリオに則った未来も形成されていて、そこには時間の概念がなく、そこに入れば過去も現在も未来も見渡せるのではないかと思ったのです。

自分で自分の中にあるパラレルワールドに入れれば、自分の過去世も現在おかれている状況も、未来も見えるわけです。ではどうやって入る? 潜在意識の中にはいるのですから、変性意識状態になるのがいいかもしれませんね。深い瞑想をするとか。一概に変性意識の状態になるのは難しいですけど、不可能ではないです。自分の潜在意識を覗いてみますか? 何が見えるのでしょうか~

Wednesday, July 15, 2009

頭では感じない

リンクの作用。


人生が生まれてから死ぬまでの期間だけだったら、凄く大変で、それでいて平坦で、でもとてつもなく詰まらないものになる気がします。たかが80年くらいではこれと言って何も出来ないし、豊かな感情の起伏が生まれないと思うからです。感情はそうそう湧きあがるのもではないからです。長年の経験が織り上げていくのが、感じる気持ちなのではないでしょうか。

友人Mが電話をしてきて(私が電話をしたので)、頭の中では理解できる問題なのに、ネガティブな感情が湧き上がって収まりが付かない話をしてくれました。Mが話ている最中に私の中で、Mの過去世のヴィジョンが過去世の時の感情と共にワ~と広がり、その感情が今の湧き上がって収まらない感情と同じであることに気が付いて、思わず笑ってしまいました。(Mごめんなさいね。本人は真剣なのに。)その時、Mの感情が過去世とリンクしていることに気が付いたのです。

誰にも経験があると思いますが、私も以前に、ある出来事が頭の中ではとても納得しているのに、なぜかふつふつと湧き上がってくる感情の痛みに、どうしてなんだろうと思ったものです。このふつふつ湧き上がって収まりきれない、感情。異様に反応してしまう、感情。人によっては、凄い嫉妬、悲しみ、怒り、むかつきだったりする感情。その原因は過去世の出来事にあった事ではではないかと、思うのです。とても似かよった状況下の元で、同じ様な体験をすると、過去世にリンクして感情を増幅させる。追体験させることで、その時の感情を呼び起こし傷ついたり、思いを残した自分を癒そうとする。それによってトラウマやカルマを解消していく。でもその時になぜその様な感情が湧くのかが解らないと、苦しみは続いていく感じがします。追求していけば、何かその感情の起こる原因がはっと解る時があると思います。いかに感情を残してこの世を去ると、来世に影響するか思い知らされますし、癒されていない事は癒されるまで、追体験させられると言うことですね。(お~怖い。)反対に湧き上がるポジティブな感情も過去世にリンクして起こると思います。何だか解らないけど、大したことではないのに、凄く感動する事ってありませんか。そこにも意味があると思います。

自分が尋常でないネガティブな感情に捕らわれた時は、過去世で何かあったなと思うのがいいと思います。そうすると少し冷静にもなれるし、癒しのチャンスですから。味わいつつ意味や原因を追究していく。頭で解っていても、感情が収まらない時すべてが過去世に繋がっているとは限らないかもしれませんが、頭は状況を分析しますが、感情はその人自身が持つ、本来の自分からのメッセージなので、頭の情報よりも大切です。だからこそ、ネガティブな感情には癒しが必要なのです。ドラマが遥か昔から続いているのです。

Monday, July 13, 2009

世界共通?

目に見えない世界から。


2日続けて、映画「ゲゲゲの鬼太郎」パート1、パート2を見ました。思ったより出来てる映画で、結構おもしろかったです。

日本映画を見ててよく映画の中で、自然と人間の共存を呼びかけるものが多いことに気がつきます。それだけ自然と人間のあり方に関心がある国だということがわかります。とてもいいことなので、日本っていい国だな~と思うのです。自然との共存を図らないのは人間の傲慢に他ありません。今まだ共存出来ているのは、自然の寛大さによると思っています。余りにも自然や環境破壊が行われているので、この寛大もいつまで続くかわかりません。

この映画の前に、「コンスタンティン」というキアヌ・リーブス主演の映画も見ました。映画の中では、天国と地獄と人間社会が存在し、その天国と地獄の方から人間社会に居れる橋渡し的な存在の者たちがいて、キアヌ演じる人間のコンスタンティンはその存在が見え、基本的にその者達が人間社会に干渉出来ないのに、それを破って悪さをする。その者達を成敗するのです。ゲゲゲの鬼太郎も人間に悪さをする妖怪達を成敗します。

東洋でも西洋でもどの世界にも人間には見えない世界が存在し、そこから来て悪さをするものを成敗する者がいるという発想があるわけです。何となく面白い。でもそこに共通することは、人間は弱い生き物で、無知であるけど、暖かい感情をもつものであると言う事を訴っています。そもそも、それらが悪さをする原因は人間にあるのですが、人間がそうであるために成敗する者が出て助けるのです。

そんな人間達ですが、そろそろ無知から脱却して、自然と目に見えない世界からの知識を入れる時ではないのでしょうか。 コンスタンティンやゲゲゲの鬼太郎達の中間人?が呆れる前に。

Saturday, July 11, 2009

見えない力

誘惑という名の宇宙船


図書館からロード オブ リングスの3部作(The Fellowship of the Ring, The Two Towers, The Return of the King) のサウンドトラックCDを借りて聴いているので、もう頭はロード オブ リングス。ついでにスターウォーズのサウンドトラックCDも借りたので、頭はスターウォーズになるには間違いなし。子供の頃から冒険物が好きなので、頭が本を読んだり、映画をみたり、音楽を聴いたりするだけで、かなり深くその世界に入れます。気をぬくとかなり深く想像の世界に入ってしまうために、いつも漬からないようにしていました。この2作は昔の神話の影響を受けているので、神話好きの私にはたまらないです。ロード オブ リングスにいたっては、作者のトールキンが凄く念入りに物語を作っているので、彼の才能に脱帽です。

神話には宇宙の法則や、物事の真理が隠されているために、長く生き続けています。読んだからといって、直ぐに宇宙の法則が分るわけではありませんが、推理小説のように、人生のどこかで、いつかは謎がとけるものです。ジョージ・ルーカスは新しい神話を創りたくて、スターウォーズをつくりました。一般的に父親と子、友情関係を通して善と悪の戦い。ロード オブ リングスも親と子、友情関係を通して善と悪いを描いています。何せ人々は善悪の主題が好きなので、2者の戦いになりますが、基本的には世の中には善悪はないので、善悪の戦いではなく、実は強い意志と弱い意志との戦いなのだと思います。

ロード オブ リングスでは世界を滅ぼす魔力を秘めた指輪の持ち主となったフロド一行は、指輪を破壊するために滅びの山 (Mount Doom) に旅に出る話です。フロド達ホビット族は強い意志を持っているので、指輪の強い誘惑に負けないためフロド(指輪の持ち主になったこともあるが)に一任され彼が指輪を運ぶ役につくのです。旅の途中で旅の8人の仲間達の中で指輪の誘惑に負けそうになったりする仲間がいるので、途中でホビット族のフロドとサムの2人が仲間と別に旅を続けます。終始、指輪の誘惑との戦いが出てきます。それは強い意志(自分の欲に捕らわれない、本来あるべき姿)と弱い意志(私利私欲に捕らわれ、他と共有しない、すべてを持とうと姿)の格闘です。人間の心の中にある格闘なのだと思います。

スターウォーズも単に悪を滅ぼす話ではなく、悪の力に引き込もうとされるのを、どのようにそれと戦うかがポイントになっています。そうでなければダースベーダー(悪の大元の右腕)がルーク・スカイウォカー(善側主人公)の父親であるはずもなく、ダースベーダーがいかにして善側から悪側に行ってしまったのかという話もでてこない。弱い意志が悪なのではなく、弱い意志がいろいろなことを巻き起こし悲劇を作ってしまうことです。
本来人間はどんな姿にあるべきなのか理解し、そうなるには強い意志が必要なのです。

ではどうしたら、悪(弱い意志)に引き込まれずにすむかは、映画を見てください。双方ともとても長い映画(スターウォーズは6部作、ロード オブ リングスは3部作あります)なので、忍耐と時間が必要です。でも本を読むよりは時間は掛からないです。図書館で子供が本を探しながら、スターウォーズのテーマ曲を口ずさんでいたのを聞いて、スターウォーズの影響力の凄さを実感。

Thursday, July 9, 2009

縁はどこまで続く

登場人物。


昨日は七夕なんですよね。一年に一回織姫と牽牛が会える日。雨が降ったらまた一年後。昨日のミネアポリスは晴れなので、ここでは会えますね。お互いが運命の人なんでしょうが、会える回数が少ないですよね。でも永遠に会えるなら少なくもないか。私たちもソウルメイトと何度も会っていて、今世では会ってなくて前世又は来世で会う人もいるので、一年に一回会っている織姫達の方が会っている回数は多いかもしれないですね。

私はソウルメイトと言う言葉を知る前に、自分と会う人達はどこかですでに会っていて、全然知らない人達ではないと思っていました。まったく知らない人と会うこと自体怖いことだし、そんな人達と友達になったり、関わったりできないと思ったからです。後になってソウルメイトの存在を知りました。まさしくソウルメイトはそこら中に居て、各々のドラマの役を演じています。悪役もいれば、恋人もいる。兄弟、親子もいれば夫婦、友達もいる。ただのエキストラもいる。こんな人と前世でも会っているの、と思うような人でも会っているから、やんなっちゃう。当然深い関係の相手なら前世で会っているのは間違いなしです。

人に会った時に、「始めまして(初めまして。双方の漢字が使われる。)」英語なら”Nice to meet you “  と言いますが、初めて会ったのに、「始め」の漢字も使われているので、裏の意味では、初めてではないと言うことでしょう。英語のMeet も元は偶然に会うと言う意味から派生しており、偶然=必然なので、必然に会いましたねとなります。会う人会う人必然的に会っているのなら、会う意味があるわけで、どれもこれも無下に出来ないですよね。

反対に出会いたいのになかなか会えないソウルメイトもいます。パートナーが欲しいのに、いい人に出会わないと言ったような場合。夢やヴィジョンで見た人なら、現世にいるはずだと思います。今の人生にとって無意味な情報は流れてこないと思うので、どこかに居るはずです。そうなると、シナリオを少し変えて早く出会う事にするか、待つしかないですね。シナリオを変えてといっても、そもそもどんなシナリオが書かれているか分らないので、詳細に想像して意識をそれに集中し、意志をもって生活するしかないです。想像できないものは、決してシナリオには書いていないので、鮮明な想像だけが実現可能です。

会うは別れの始まりなり、なんて言いますが、別れては会って、また別れてと繰り返して、ソウルメイト達と一緒に成長していく。人生でどれぐらいの人と出会うんでしょうか? 数知れないソウルメイトさん今後もよろしく。

Tuesday, July 7, 2009

旅は今始まる

損して得を取れ。


ここ1週間、無料1時間マッサージをルームメイトの友達に提供してきました。彼らは金銭的に余裕が無いので、マッサージを受けたこともない人ばかりで、少しは楽しんでいただけたと思います。今後彼らが私の顧客になる期待はしてないので、今回は徳を積む意味でやることにしました。ま~今度この事がどう発展していくかは誰にもわからないことなので、いい方向にマッサージ業が向かって欲しいと切に祈るばかりです。

今回のこの無料提供で、初めてガンの手術をした人にマッサージをしました。彼女はガンだけでなく、片足が膝から少し先までしかありません。ガンの手術をしてから余りリラックス出来ないといっていました。彼女の詳しい事情は彼女から聞かなかったのですが、今世も前世も苦労しているみたいで、マッサージをしながら、彼女の痛みを感じつつ、ただひたすら生きていて欲しいと願っていました。その時初めて、何となく自分にサイキックの能力があることに感謝しました。彼女を治すとか、癒すことが出来るとか出来ないとかではなく、相手の痛みを感じることが出来ることが、感謝に繋がり、神に祈ることによって、神が近い存在に感じ、エネルギーに触れることによって感動を呼び起こしたからです。そんな感覚を味わうのは自分の特殊能力のお陰だと思ったのです。

いままでは、なぜそんな特殊能力があるのか疑問を持つことはあっても、感謝することはありませんでした。友人Mは、使命を果たしているから感謝するのでは、と言っていましたけど、その通りかもしれません。それに自分の中にある何かを認めざるを得ない気がします。私の旅は始まったばかりに感じます。こんなに長く人生の旅をしてきたのに、やっとスタートラインに到着した感じです。

彼女をマッサージした後、彼女と友達と一緒に昼食をとって、その後倒れこむようにぐったりとベットに横になり、疲れてなかなか起き上がれなかったです。と同様に人生のスタートラインには到着したかもしれませんが、そこまでたどり着くまでだいぶ疲れていて、旅をし続けるには休養が必要です。私もマッサージを受けたい。

Sunday, July 5, 2009

遣り残しは持ち越す

笑う門には年取らない。


今日アジア系のお店が並ぶ通りに行った時、あるレストランで、白人のおばあさん達がマージャンをやっているのを窓越しから見かけました。結構驚きでした。でも、歳を取って4人でマージャンをして時間を過ごすのっていいな~と思います。頭の体操にもなるし、マージャンとても楽しいし。

歳を取ったら何をやっているんでしょうか。今から考えても仕方がないのですが、マージャンをしていたおばあさん達を見て、自分だったらどうするか考えてみたくなりました。友人Mは日本で独身老女が集まって、陶芸でもするとかと言っています。今のところ私は独身まっしぐらなので、そのメンバーに入れそうですが、陶芸は肉体労働なので、歳を取ったら陶芸は若い子達の手伝いが必要になってくる。若いお弟子さんを取るのもいいですね。それとも放浪陶芸家のままでしょうか。歳をとってもさして変わらないことをしているのでしょうか。

老後は楽しみたいですね。力を抜いて生活し、今以上に笑って過ごし、最後に思い残すことなく死んで、次の世では現世とは違った事をやりたいです。現世の辛く厳しい課題に逃避してそれに立ち向かわないと、またしなくてはならない。違う場所で、違う人物で、違う状況下で、一からやり直しをする。そっちの方が今よりももっと辛いので、この世でパスしたいです。そもそも魂自体に癖があり、同じ様な事を繰り返してしまう傾向にあるので、楽しいことならいいですが、辛いことならさっさと物事の意味に気が付いて、次のステージに進みたいです。常に意識していれば、しっくり行かない事、もやもやした気持ち、上手くいかない事の意味がわかってきます。すべては自分に問いかけ、自分を知るためです。

元気なおばあちゃんでいたいですね。ストレスがない生活をするのが、一番の若さを保つ元気でいられるコツですね。一緒に笑えるメンバーが老後にいるとハッピーです。

Thursday, July 2, 2009

ドラッグ戦争

誘惑のなか。


5月にベジタリアン(ヴィーガン)のルームメイトのところに引越してから、ヴィーガンになり、それなりに食生活が変わってきました。

まず、脂っこいものは食べなくなりました。もともと脂っこいもは食べては無いのですが、それ以上に少なくなったのです。炭水化物好きな私でしたが、それも減ってきました。何よりも、ボリボリ系のお菓子好き、甘いもの好きが、だいぶ減ってきました。普通の砂糖は製造過程で、牛の骨の灰を使うので、砂糖を使ったものはルームメイト達は食べないので、おのずと砂糖の摂取量がだいぶ減ってきました。

私にとって砂糖は最後のドラッグです。自分との戦いです。なかなか難しく苦戦していました。砂糖は合法ドラッグです。体に毒なのは言うまでもないのですが、甘い誘惑は強烈です。ドラッグは無理やり体や神経を刺激するので負担が多く、平常心や落ち着きをなくし、刺激を求めて習慣性になる。毒は毒を呼ぶ性質があるので、嫌な事は嫌な事を引き寄せるように、悪循環になる。コーヒーもブラックティーもやめて、カフェインを取らず、酒も特別なことが無い限り飲まない、タバコも吸わない、甘いものは砂糖でないので摂取する生活はいかがなものでしょうか。自由な気持ちにさせてくれます。では、どうやってホットするのかと思うかもしれないですが、息を抜いて座ればホットします。体の力を抜くのです。体の力を抜くのは簡単そうで実は難しかったりするのです。コーヒーの臭いやタバコの煙が体に入っていく感じが、一瞬体の力を抜くのかもしれませんが、持続はしません。自由な気分はいつでもどこでも体の力を抜く事が出来るのです。

ドラッグではない嗜好品に変えて、今までとは違った気分を味わってみるのもいいですよ。私も砂糖との戦いに頑張ります。