Monday, August 31, 2009

水されど水

言葉の力。



この頃は天気がいいけど、とても寒くて、朝夜は10C°を下まわり寒い。もう秋の気配ただよう(もうすでに秋なのかな~)ミネアポリスです。

8/15に自転車の前車輪+タイヤを盗まれてから、何だかいろいろと忙しくなり、ブログの更新がなかなか出来ない状態になりました。(更新がんばります。)

以前話していた仕事もパートタイムとして取れて、前車輪+タイヤも安く良いのが手に入り、マッサージのお客さんもぼちぼち(今月は赤字ですけど)、10月の展覧会の準備(10月に私の陶芸作品の展覧会をミネソタのSt. John's 大学でします。)も少しづつ進んできて、何だか物事が回ってきて、悪いことが起こった後のありがとう効果だと思っています。

決して悪い出来事も悪くなく、いい方向に向く起点ですね。だから、怒ったり、ガッカリしなくても大丈夫。負から正に変わるときは、大きなエネルギーが働くので、物事が回ったりしてきます。気持ちの切り替え一つです。悪い事に捕らわれていたら、また、負を呼んでしまうので、悪い事が起きたらラッキーと思うといいですよ。

実際そんなに楽観視するのは難しいですけど。なんたって、頭から岩が落ちてきたような、ショックは受けるのですから。私は受けましたね。頭上から岩が落ちて、立ってられない感じ。楽観視が難しければ、心配しないのが、一番肝心要です。心配が一番いけない。何かあったら、心の中で唱えて下さい。心配しないと。心配は心を配りすぎて、心ここにあらずやになってしまい、何も出来なくなるからです。何事も心配後無用。

このありがとう効果はなまじっか嘘ではなく、ポジティブな言葉にはよいエネルギーがあり、そのエネルギー(波動)が全てのものに影響します。人や物、自然や地球、そして宇宙と。

水の結晶のについて書いた本、「結晶物語」江本勝著は、水に音楽を聴かせたり、言葉を掛けたり、言葉を水のビンに貼ったりした水の結晶を写真に撮った本です。

ポジティブな言葉を見せたり、言ったりした水の結晶はとても綺麗です。

反対にネガティブな言葉を見せたり、言ったりした水の結晶はくずれた結晶、又は結晶になりません。

音楽でもハードロックの曲は水の結晶が壊れてしまいます。

その本にも言っていますが、人体は70%が水分なので、水がネガティブな言葉や感情に影響を受けるのであれば、人体に影響しないはずはないと。全くその通りだと思います。全ては波動で出来ているので、全てのものが全ての波動に影響します。ましてや、水は生命の源なので、余計に心身と密接です。

人間は言葉という波動を生み出し、それを外に放出する事が出来ます。と言うことは、言葉一つで波動を放出し、全てに影響を与えることができる能力があると言うことです。

しかも、自分の出した言葉に対して、自分自身にも影響を与えてします。

なら、いい波動を放出して、いい影響を全てに与えたいですよね。それにそんなに難しい事ではなのですから。

とても興味深く、水の結晶の綺麗な写真が満載の本です。英語版もあります。、立ち読みして見てはいかがですか。なるほどと、思わされます。

Thursday, August 27, 2009

私のバイブル

掃除の勧め。



  
何度もこのブログで私は、掃除(整理整頓も含む)をすることを勧めています。掃除をすることによって、物理的にきれいになるだけではなく、見えないエネルギーレベルでもきれいになり、何と掃除をした本人もきれいになるからです。

掃除の大切さはカレン・キングストンの本を読んでからと、とても辛いことが私に起こった時に友人から掃除をすることを勧められたのと、実際に掃除をした後の効果を何度も実感しているからです。

実は掃除は瞑想と同じなのではないかと、思っています。掃除というきれいにする目的に向かって、ひたすら体を動かしながら、単純な作業をする。掃く、拭く、擦る、掃く、拭く、擦る。どれも手を使って行います(どれも手偏でしょ)。この作業が瞑想状態にするのではないかと、思っているのです。

何も考えないで掃除をする。又は何か色んなことが頭の中で浮かびながら掃除をする。どうであれ、掃除をした後スッキリする。落ち込んでる時、眠れない時はもう掃除するしかないです。何か悩んでいることや、もやもやしたことが、掃除と共に自分も掃除されるからです。瞑想状態になって、ストレスを取り除くからです。

特に、トイレやお風呂、台所の水周り関係を重点的にやるととてもスッキリします。それに、水周りはエネルギーが溜まり易く、良くないエネルギーが留まり、しかもエネルギーが逃げ易い、良いエネルギーが出て行ってしまうのです。

ニューヨークで一緒に住んでいた友人Yさんは、よくトイレをきれいにしておくと、お金が入ってくるんだよと言っていました。私もそう思っています。良くないエネルギーを追い出し、良いエネルギーが回ってくれれば、必要なものは入って来ます。

徹底的に掃除した後は、シャワーを浴びて、掃除と共に着いた負のエネルギーを洗いながしましょう。もう、簡単にリニューアルされた自分になれます。

騙されたと思って、やって見て下さい。スッキリすると思います。(もしスッキリしないなら、手を抜いて掃除しているか、余計な物を持ちすぎているからでしょう。)その後、公園でも行って一息ぬいたら、それはもう天国にいる感じがすると思います。

ついでに、カレンさんの本を読むのをお勧めします。彼女の本を読むと、やる気になって、要らないものを捨て始めます。そうなったら、しめたものです。住んでいる所や仕事場がきれいになって、気が流れます。気が常に流れた状態がいいですね。

私も掃除、整理整頓しなくっちゃ。本がベットの上を占領し始めて来た~ 私の悪い癖だ~ 

「ガラクタ捨てれば未来がひらける」カレン・キングストン 小学館文庫
( “CREATING SACRED SPACE WITH FENG SHUI” by KAREN KINGSTON)

「ガラクタ捨てれば自分が見える 風水整理術入門」カレン・キングストン 小学館文庫
( “Clear Your Clutter with FENG SHUI” by KAREN KINGSTON )

Tuesday, August 25, 2009

地球が変われば我々も変わる

母なる大地。



この頃ブログの更新のペースが落ちていますね。自転車の前車輪とタイヤを盗られてから、いろいろな事が起こって、忙しくしております。

サイキックの友人がメールで、8月15日に地球がまた大きくシフトしたことを、教えてくれました。真実の魂の家族との出会い、絆が深まる、というテーマが始まってるそうです。

まさしく、その15日に盗難にあって、偶然ではない感じがします。

地球のシフトと聞いて、???、となる方がいらっしゃると思いますが、私も余り詳しく分っていないのですが、マヤ文明のマヤ暦が2012年に終わり、地球が大変動を起こし、破局するとか、新次元に移行するとか言われてます。その2012年の間に何回か地球がシフトするという話です。

2012年に何が起こるか分りません。地球が破局するとは思えません。でも何かの節目にはなるかもしれませんね。

このマヤ暦の話は置いといて、地球も生きているので、シフトしたり、変わったりすると思います。そのたびに、その上で生きている私たちに影響が無いはずはありません。地球のエネルギー無しに、生活は出来ませんから。それに、地球からエネルギーを貰って、心身ともに、豊かになれます。(グラインディングがとても大切なんですよね)見えない次元で大きく我々も関わってきます。

今回のテーマ、真実の魂の家族との出会い、絆が深まる、のは素敵ですね。出会いや誕生が身近に起きるかもしれませんね。人と人との絆が深まれば、地球と人々の絆が深まることになると思います。全ては一つであることを実感するのです。

この地球のシフトで、大きくその波に乗っちゃいましょう。何が起きても大丈夫です。深い絆と結びつくのですから。すてきな地球、ありがとう。

Sunday, August 23, 2009

噛まれたい

意識と現実との時差。



またもや、映画「Twilight」を見てしまいました。たぶんこれで、3回目かもしれません。

バンパイアの映画好きなのもあるかもしれませんが(いろいろなバンパイア映画を見ました)、バンパイア役のロバート・パティンソンが結構カッコイイんです。それに、バンパイアと人間の恋なんて、ロマンチックですよね。何せ相手は人間の生血好きなんですから。。。。

この映画の話に引かれるのは、主人公が素敵だからだけではありません。この主人公は人々の心が読めるのです。だけど恋に落ちるヒロインだけは心が読めず、気になる存在になっていくのです。私も恋に落ちた人や、とても気になる人のリーディングはできません。

よく知り合いが私に、男の人に出会ったら、その人がどんな人かリーディングして、付き合う前にそれが分るのっていよね、と言いますが、私の場合、人目惚れなんかしてしまったら、全く分りません。一目惚れでなくても、恋愛の気持ちが入ってしまったら、もう読めません。リーディングした後に恋に落ちて、その人の付き合いは苦労することを知っていても、落ちたら止められません。それが恋愛なのですから、仕方がありません。

恋愛だけでなく、とても近しい人(親、兄弟など)もリーディングできません。たぶん自分の気持ち(期待や希望)が入ってしまうからだと思います。

映画の主人公の様に普段読めるのに、読めない人がいたら、それは興味深々になるのは、とても気持ちがわかります。それこそ、恋に落ちたら、主人公のように、正体が人々にばれてしまう危険や、自分の立場や仲間たちの立場の危険さを分っていても、もう止められません。

恋は落ちるもので、するものではないのです。しかも、落ちたと分った時には、すでに落ちていて、意識は実状よりも遅れて認識します。だから、恋愛が始まった時は、その瞬間、瞬間を大切に味わないと意識は遅れているので、味わおうと思った時には実際終わっていたりします。だから先の事をあれこれ心配することはないのです。現実がどうなっているのか、意識は判断できないのですから。落ち着いてきて、意識と現実の時差が少なくなったら、少し考えてみるのもいいと思います。

恋愛していない時でさえ、この時差はあるので、何事も心配しても何も始まらないという言葉が当てはまります。実際現実がどうなっているのか把握しきれていなのいのですから。

まして、恋愛などしていたら、余計に分らないものです。

バンパイアに噛まれて永遠の命を得る。どうでしょう。我々も記憶にないだけで、かなり長い間、肉体を変えながら生きているので、永遠の命があるみたいなものですけどね。私の前世はパンバイアでないことは事実です。Hahahaha...

Friday, August 21, 2009

夏の風物詩?

天災は警告。




竜巻による被害


今年のミネソタの夏は、涼しくて、雨が多くて、夏ぽくない気候が続いています。昨日は暴風雨のなか又もや竜巻が発生しました。しかも今回のは凄かった。

お昼すぎに仕事をしていた時、サイレンが鳴り、何だこのけたたましいサイレンは?ラジオが無いので、ルームメイトに電話して(たまたま=必然、家に居た)そのサイレンのことを聞いたら、竜巻がミネアポリスの繁華街で発生し、北に向かっているらしいことを教えてくれました。もし、空が黄色ぽいか青ぽいなら危ないから、地下に非難したほうがいいとも言ってくれました。私のマッサージの仕事場は繁華街の南にあり、空はグレーだったので、大丈夫かと思いそのまま仕事を続行していました。

雨が降っていたので、バスに乗りその帰り道、窓ガラスが沢山割れているお店を発見。前に座っていた人が、竜巻の仕業だよ、と言ってました。

アパートに帰ったあと、仕事場に行く用ができて、雨も止んだので、自転車で行くことにし、途中仕事場からだいたい5ブロック離れた周りが、すごい事になっているのを発見。大きな木が倒れていたり、家のフェンスが壊れていたり、木の破片やら、枝やらが道に落ちていて、どうしたんだ?と近くの人に聞いたら、竜巻のせいだということだった。え~こんな近くに来たの~と思って、繁華街だけではなかった事に気がつきました。

それから、家に帰ったあと、インターネットで調べてみたら、街の繁華街の竜巻は私がその朝に行った、ビルの辺りでした。あるものを申し込もうとして、そのビルに行ったのですが、たまたま、その水曜日だけは夕方からの受付だったので、そのまま帰ったのです。もし、受付が始まっていたら竜巻が来た時間頃まで、その辺に居たかもしれません。あ~怖い。

竜巻が襲った後を見ると、その威力に驚かされます。しかも、私の竜巻のイメージは、何も無い平坦な所で起こるもの。牧草地にいた牛が竜巻で空に舞い上がってしまう感じです。しかし、この街の中でも竜巻は起こるのです。恐るべし、ミネソタ。

なんだか、竜巻の近いところにいながら、接近を免れた感じです。もうこうなるとラジオは必需品ですね。いろいろと勉強になります。

私は天災は人間に対しての警告だと思います。自然の何かのバランスが崩されていることの。

P.S.:9月の16日~10月1日までNYCに居ます。対面リーディングをいたします。興味のある方はご連絡下さい。sakuyahime88@aol.com まで。 よろしくお願いいたします。

Tuesday, August 18, 2009

転運のカギ

重要用語。



何せ次から次へといろいろな事が起きるから、人生は紆余曲折と思うのですが、本当はとてもシンプルなのかもしれません。いやいたってシンプルなんです。ただ、状況の変化に対応するだけの柔軟さや、気転を変えるのが必要で、それが無いと込み入ったことになだけです。

土曜日になんと私が愛用している自転車の前車輪を、繁華街の図書館の駐輪場で、盗まれてしまい、大ショック。しかも雨が降り始め、自転車を持ちながらアパートに帰ってきました。よりによって、一番お金が無いこの時に、盗まれてしまい、どうしてよいのかわからない状況に陥りました。

何が私に起こったのだろう。何を意味しているのだろうと考え、少しでもショックを和らげようと、頭の中を駈けずり周る無駄な努力をしながら、帰ってきました。

帰っている途中で、携帯電話で時間を見たときに、222、だったので、神様ありがとう。これはきっと悪いことではないんだわと思ったのです。落ち込まない、悲しまない事にしました。(それでもショックはショックですけど。)

その夜に、ルームメイトが友人から、前車輪を貸してもらい自転車は走れるようになり、その後直ぐに、マッサージを受けたいお客さんから久々の電話が入り、仕事をしに自転車で出かけ、途中で雨が物凄く振り出して、このままそのお客さんが来なかったら、よっぽどついてない日なんだな~と思いながら走り続け、びしょびしょに成りながら、到着。お客さんは遅れて来てくれたので、濡れた酷い格好も少しはよくなって対応できました。

次の日Facebookにタイヤを盗られたことを載せたら、友人が仕事のオファーをくれました。(まだその仕事ができるか決まっていませんが。)

何だかいい方向に向かっている様な気がします。実は何だか心の何処かでウキウキしいる感じがあります。

前に一緒に暮らしていたYさんが、何か悪いことが起きたら、ありがとうと口に出して言うのよ、とよくいっていました。斉藤一人さん(知る人が知る、超有名人)が提唱しているのを、私に教えてくれたのです。

それにしたがって、悪態をつかず、ありがとう。落ち込んでいる中、なかなか勇気のいることです。

今後これがどう発展していくか、少し興味がありませんか。もし、いい方向に行ったら、このありがとう効果は絶大です。ありがとうには、すごいパワーがあるのですから。お試しあれ。

Saturday, August 15, 2009

クイズの回答者

解答を探せ。




昨日は運良く映画”スラムドッグ ミリオネラー”を見ることが出来ました。以前からいい映画だからと、薦められてはいましたが、なにせ貧乏人なので、無料で見る機会を得ないことには見られません。だから、昨日見られた事は運命ですね。見た方も多いと思いますが、この映画はとてもお薦めです。

見て欲しいので映画の内容は余り書かないことにします。要はスラムで住む子供が成長して、ミリオネラーというクイズ番組に出る話です。それプラス恋愛も絡んで、実に良く出来た作品です。しかも、人生の真実が隠されています。そう言う意味ではスピリチャルですね。

始めはとても貧しい子供が、何とか生きぬいていく姿のたくましさに、自分はまだまだ甘いな~と思うのですが、見ていくうちに、あ~人生の真実があるな~と思ったのです。

クイズ番組の問題が、主人公の男の子の人生に直結して、回答を彼の人生の回顧に見出していくのです。そうです、人生の全ての出来事が、自分の人生の課題の解答に結びついるのです。

ひとつひとつの出来事が、気づきをもたらせる為にあるのです。気づきは解答です。だからこそ、すべての出来事には意味があるのです。

クイズや宿題の様に問題が提示されたら、解答を得るために問題について調べますよね。インターネットで調べたり、本で調べたり、人に聞いたりと色んな方法で解答を求めます。

人生もその様なもので、各人が持つ人生の主題や課題について、経験、体験という方法で答えを求めています。だから、すべて人生で起きることは無駄なことは一つも無いと言う事です。問いは一つではなく(大まかなものは一つかも知れませんけど)、関連して幾つもあるように感じます。なので、一つの体験がどの解答に結びついているのか分りにくく、しかも主題や課題が何なのか分らない所に、人生をミステリヤスにしています。

もし、問いが何であるか分っていたら、人生面白くないかもしれませんね。答えを得易く経験値が低くなる。頭ばかり働かせてしまい、心が置き去りになりがちになる。

ここが、上手く作ってある構造で、問いが分らない分、心(感情)を働かせないと問いが何であるか、問題が何であるかが分らない様になっている。なぜならその問いは自分の中にあり、問題の解答を得ようとしているにも関わらず、その問題が何か意識の上では分らない。解答を得た時は同時に問いが何で有ったのか分るようになっている。それでも、大まかな問題は自分なりに分っているのだけど。たとえば、恋愛、人間関係、親子関係、金銭関係などなど。(まるで記憶喪失の人が、記憶を取り戻すために、一つ一つの体験を検証するようなものですね。本人には記憶の装置があるのに、それを作動させるために、色々と体験して検証して、装置に油を挿すような感じです。)

もし辛いこと、嫌なこと、苦しいこと、好きなこと、楽しいことが起きたら、それは答えを得るために必要な事なのです。そしたら、嫌なことでも大した事では無くなりますね。後で役にたつのですから。

人生はその問題、解答、経験を得るためにあるのでしょうか。そうだと思います。いつも何かを探しているような感じを持つことはありませんか。思考あり、洞察力があるなら、それをただ生きていくためだけに使うとしたら、十分すぎると思うからです。

もちろん、人生は楽しむ為にあり、幸せを感じる為にあります。それは基本中の基本です。それでも、辛い事が起きたりするのですから、楽しくない、幸せじゃないと思うことしばしばあると思いますけど、でもそこには経験する幸せや楽しみがあるのです。何も心配はいりません。心配が一番よくありません。ただリサーチ中なだけです。

映画の中で「運命」という言葉がしばしば出てきます。全ては運命なのです。命を運んでいるのです。映画を昨日見ることによって、ブログに書くことが出来たのも運命で、それに遵っています。

Friday, August 14, 2009

星に願いを

聖なる数字。



ここ2,3日ペルセウス流星群の天体ショウが繰り広げらていましたが、天気が良かった小都市のミネアポリスでさえ周りに光が多くて、星自体が良く見えません。まして、私のアパートの周りは照明が多いので、余計に見えなかったです。でも一つだけ流れ星を見ました。(窓から外を見た途端に見えたので、あれは流れ星だと思う。結構大きかった。)星はロマンチックですね。夢があります。

以前に、宇宙からのサインはあちらこちらにあると言う話を、このブログに書きました。でも実際にどれがサインなのか、分らない事も多いと思います。人によっては質問を天に投げかけてから3日ぐらい後に、答えの文字が広告や宣伝、雑誌などから浮かび上がってくると言う人もいるので、サインをキャッチし易い人もいます。

でも、大抵何がサインだか分らない人が、多いのではないかと思います。実は私自身もサインを見逃す事が多いです。大概落ち着いていないと、サインをキャッチ出来ないですね。仕事が上手くいかないで、焦っていたり、恋に落ちて自分を見失ってしまっていたり、何だか塞ぎ込んでいたり、イライラしている時などは余裕がないので、サインなんだか自分が招いていること何だか分らない状態になっています。

そのつど、落ち着いて、冷静に、と自分に問いかけ、何かを待つ忍耐を得ようとします。神様に願ってもいいし、自分の成りたい状態を声をだして宣言してもいいし、とりあえず、空間に向かって声を出して、自分を落ち着かせるのはとても効果的ですし、宇宙に要望を提示することにもなるので、その後のサインが分ったりします。要望に対する反応は分りやすいですよね。

それでも目に見えて反応がなければ、近くに神や守護霊さん達が居てくれている事を実感できる方法は、数字です。数字がこれほど神聖なものだと言うことは、最近まで認識が無かったです。数字はとても神聖で、しかもどこにでもあるのです。もしデジタル時計を見たとき、ぞろ目の3桁もしくは4桁の数字でしたら、それはもうサインです。霊的守り主達を実感できます。デジタル時計でなくてもいいです。世間には、数字がいっぱいころがっています。ぞろ目の3桁もしくは4桁の数字を見たら、神様ありがとう!、と声を出して言って見て下さい。変化があります。

私は”222””1111”を良く見ます。その都度うれしくなります。あ~神様が近くに居るんだと思うからです。(神様は誰の所にも近くにいるのですが。)神様ありがとうと言ってしまいます。

いいことがやって来ますから、と言ってこれを薦めたくはありません。損得でこの神聖なサインを利用して欲しくないからです。でも、とても効果があります。疑うこと無しにやってみて下さい。ぞろ目を見たことが無い人がいたら、まずは星に願いをするところから始めてみるのがいいと思います。問いかける事がとても大切だからです。(要求ではありません。)

夏の星空を見ながら、夢を語るのも風流ですね。語っている間に流れ星を見るかもしれません。そうしたら、願いが叶うかも。星を見ていたら眠くなって、時間を見たらぞろ目だったりして。もうそうなると、頼りになる助っ人を得たことになりますね。思わず口に出して、神様ありがとう!

Tuesday, August 11, 2009

世界を支える36人

感激アート



St. Josephに居た時に、St. John's Universityのアートセンターのギャラリーで”Ink on Paper”というUkrainian/American artist Ben-Zion [1897-1987] の展覧会を見てきました。

これは、ジューイッシュ(ユダヤ)の神話、36人の知られざる人々、又は世界の中のただの人達(Just men in the world)からモチーフを得た版画の作品展です。その版画は36種の仕事を描き、それに作家の書いた詩が一枚一枚あって、版画と詩がとてもいい作品展です。

この神話は、神が人類を滅ぼそうとした時に、36人のとても善良な人達のために、それを諦めた話で、この36人が誰であるかは、神のみぞ知る事で、36人自身もその事を知らないのです。

アーティストは36種の仕事を選んで、それを版画にし、詩をつけて“36 Unknown.”と題した作品群をつくりました。

始めこの展覧会とこの神話の話を友人から聞いて、36人のためにこの世界があるのか?なんと傲慢な話なのだろうと思ったのですが、作品を見て、作家が選択した職業がとてもベーシックな職種(牢に入った犯罪人もその中に入っていました。)だったのと、詩がとても良かったので、とても感動を覚えました。

何事にもベーシックはとても大切で、それ抜きには何も始まりませんし、それだけで十分なのです。もし神が36人(36種の仕事)の善良で、ひたすらコツコツ働く者の為に、この世界を存続させたのなら、私は納得します。36という数字が神話の中では意味があるのかもしれませんが、その数字を抜きにして、職人という人々が、この世を継続させているとしたら、とてもすばらしい事です。

日本にはすばらしい職人さん達がいっぱいいます。岩手に居た時に、儲けにもならないのに、ひたすら手間の掛かるやり方で、制作している職人さん達に会いました。それ方法がいい物を作ると思って続けているのです。良いものを作るには手間が掛かります。それを惜しまない職人さん達が居なくなってしまったら、この世は終わってしまうと思います。

たとえ物を制作するだけの職人さんばかりでなくても、職人精神(ただ良いものを作る事だけに人生を費やす)を持った教師や牧師(宗教家)や医者などが、必要なのは言うまでもありません。相手のことをただただ思いやった仕事は職人精神に通じるものがあります。

36種の仕事を選抜するとしたら、何を選びますか? もちろん私は陶芸家をその一つに選びますね。ちなみにこのアーティストも選んでいました。土と共に仕事をし、人々に食と共に安らぎを与える陶器を作る仕事は、すばらしい。(プラスティクを使うな!陶器を使え!と叫びたくなる昨今。)土の温かみは、大地の恵み。職人さん万歳!(日本の職人さんの種類がいっぱいあって、36種では収まりきれない。あーなんて日本はすばらしいのだろう。後継者不足も皆が良いものを買えば解消されると思うのだけど。)

“The Watercarrier”

The well fills my pails.

They balance my shoulder

And make me walk in the rhythm

Of the water.

--- Open the gates my patrons

I will fill your barrels,

That you may bless the One

By whose word

Everything was created.

by Ben-Zion

Monday, August 10, 2009

食っちゃ寝

生きてて良かった。


                 Pizza窯

St. Josephから帰って来てからの週末、私はダウンです。疲れがどっとでたのか、今まで食べていたものとは違ったものを食べたせいか、頭痛と胃痛で寝ていました。半身浴でだいぶよくなり、これからびわ温灸をするつもりです。これがそてもよく効くんです。

寝ている間、空想、妄想、回想に耽っていました。St. Josephの友人に弟(20代半ば)がいて、一緒に住んでいます。私はその弟にも会うことをとても楽しみにしていました。残念ながら、彼はカナダ国境付近をキャンプに出かけていたため、友人の誕生日パーティには参加できず、彼の帰りを楽しみにしていました。

彼はとてもすてきな青年です。去年1ヶ月の滞在の時に、友人と彼と一緒に住んで、どれだけすてきな青年かを知ったのです。彼はとてもシンプルです。気持ちを素直に表します。人に対する思いやりもとてもあります。なにより、人を喜ばせようとあれやこれやしてくれました。それがとても自然で、少年のような人です。

キャンプから帰って来てから、キャンプがどうだったか聞いたときに、雨の日が多くその間、食べて、寝て、何かやって、食べて、寝てがよかったと言っていました。

人間生きる上のベースに対して喜びが持てることは、生き物の基本です。もちろん、キャンプに行ってたとえ雨ばっかりでも、仕事や人間関係の煩わしさがないので、それはそれで楽しいでしょうと思うかもしれませんが、普段何気に、何もやっていないと罪悪感を持ったりませんか?特に都会生活をしていたりすると、常に動いていないといけない気になって、予定をぎっしり入れたり、とりあえずお腹を満たすことだけに食べたり、睡眠時間が短くなるで、身近にある幸せ感を見逃しがちになる。

単純に食べたり、寝たりすることに対して、喜びを感じていますか?この生きる基礎に対する歓喜があって初めて、生きる満足感を得られるのであって、それが欠如していては、何事に対しても満足感を得ることができないと思います。常に原点に戻れれば、喜びが感謝へと繋がる。日常の中の喜びを享受する。そうする事によって、生命が本来言いつけられているさだめが分るのではないでしょうか。

Sunday, August 9, 2009

ミネソタの夏、緊張の夏

体験、経験。

St. Joseph の家のバックヤードにある、お気に入りのハンモック
                    

ミネアポリスに戻って来ました。もう手足が蚊に刺されまくって、凄い状態になっています。たぶん生まれて初めて、見るも無残な足になって帰って来ました。ルームメイトにその悲惨な足をみせたら、ウエルカム トゥ ミネソタ(Welcome to Minnesota)、と言われました。ここは蚊が多い所なのかしら。湖が多いから?それにしても、まだ痒い。

今日の夜8時半ごろ、外でサイレンが鳴り響き、うるさいなーと思いつつも、久し振りに私のPCがインターネットに繋がったので、それに夢中になっていて、サイレンに対して疑問を抱く余裕がなかったら、ルームメイトがやってきて、竜巻注意報なので、地下室に行こうと誘ってくれました。え~竜巻~。そうです、ここミネソタは夏に時々竜巻が起こるのです。そのサイレンが竜巻注意報だとは知らなかったのですが、竜巻が起こる事は知っていました。

まるで空襲警報(実際、空襲警報の体験は無いのですが)のように、サイレンは鳴り響き、地下室に行くって、何を持っていっていいのやら、あたふた。何を持っていけばいいのかと聞いて、ルームメイトがラジオと言うので、CDプレイヤーを持って、地下室へ。ラジオをつけて、ニュース番組を探して、ミネソタ パブリック レディオにチューニング、竜巻は西南の方向で、ここから少し離れていたので安心。9時に警報は解除されとのこと。一件落着。

2年前にミネソタに来たときに、竜巻のニュースを聞いて、その時に子供が一人亡くなった事があったので、結構竜巻は深刻な天災です。

しかも、都市にもやって来るらしいので、町にいるからといって安心できません。

竜巻騒ぎの後、空が光って稲妻が走り、天空のショウがありました。

何だかんだとドラマがあるミネソタです。

 天空のショウ (稲妻を撮るのはとても難しくて、撮れませんでした。)

Tuesday, August 4, 2009

静かな湖畔の森の影から

自然からの波動

St. Joseph に住む友人は裏庭にピザ窯を作っていました。いつの間にか、作っていたのです。土曜日のバースデイパーティーはピザを各々で作って(ピザのドウを平らに伸ばして、ソースを塗って、トッピングして、チーズをのせて。)ピザ焼き係りの人に渡し、焼きあがるのを待って、後は食べるだけ。とてもおいしい。パンも美味しく焼きあがるそうです。私もビザ窯欲しい。

このSt. Josephはとても小さい町で、大きなスーパーマッケットで買い物したい時は、隣の町のSt. Cloud(ここはまあまあ大きい町)まで行く必要がある、ほんとに小さい町です。友人はここで生まれ育ちました。

友人はミネアポリスまで迎えに来てくれて、ここに着いたときに彼女が、町のように波動が荒くないから、ここに付くとホッとする。セントジョンズ大学(隣町)に来るアーティストがとても静かな事に驚くけど、私はここで生まれ育ったけれども、これが普通なんだと思う、と言っていました。まったくもってその通りだと思います。

静かな波動の中で暮らすのは、当たり前のことで、かつ都市であっても波動が穏やかであってもいいはずです。人が多いから波動が乱れるのではなく、個人個人の波動が乱れているので、都市の波動が速くなっているのだと思います。もちろん、周りの環境がそうであれば、影響を受けるので、にわとりが先か、卵が先かになってしまいますが、それでも個人個人が発するエネルギーが、とても静かなら都市の環境も変わります。

都市には都市独特のよいエネルギーがあります。それを皆が享受出来るように、人々が気が付いて、穏やかなエネルギーを出していきたいものですね。

田舎はいいですよ。のんびりしていて、空間がいっぱいあって、とても自然が美しく感じられて。裏庭にあるハンモックで揺られながら、ゆったりとした時間が過ぎていくのを感じ、幸せを味わっていました。蚊がいなければ尚いいのに。ここの蚊はすごい。

Monday, August 3, 2009

実家がハブステーション

呼ばれてますか?


今日から、St. Joseph(ミネアポリスから車で1時間15分くらい北に行った所です。)の友人の家に行きます。土日は誕生日ダンスパーティーで、その後、私の作品が彼女の裏庭に置いているので、10月にやる展覧会の準備のために、壁に掛けるためのフックを作品に付けにそのまま彼女の家に滞在します。それ以外にもやることがあるので、多分1週間くらいはいることになると思います。車があれば、そんなに滞在する必要はないのですが、仕方がありません。昨年の11月も1カ月間彼女の家に滞在しました。

実家を出る前にもいろいろな所への旅行はしていましたが、実家を出て福井県に陶芸の勉強を始めてから、私の放浪生活は始まりました。どれくらい引越しを今までしてきたのでしょうか。人の家にお世話になることもしばしば。自分でもなぜこんなに移り歩いているのかわかりません。仕事の為というわけでもないのですけど。

最高で2年間同じ場所に住んだ以外は、移動しっぱなしです。今もミネアポリスに住んでいますが、来てから半年で住む所を変えました。多分ここも半年住んで移動になりそうです。決して居心地が悪いから引っ越すのではなく、引っ越す事になるんです。

それに加えて旅行と、友達は、よく金も無いのに移動するね、と言いますが、まるで動かされているようです。

いろいろな本に1年半くらいのサイクルで、何か新しい事をやるとか、何かが起こるのは、良いサインと言っているのを読んだ事があります。良いサインなのか、私の場合1年~1年半経つと何か状況が変わっています。今は加速しているのか、半年づつに変化があります。その度に、移動です。変化とともに移動なのです。

前に誰かが、前世は雲水だったんじゃなにのとか、行者だったんじゃないの、とか言われたことがありますが、私もそんな気がします。ジプシーだったかもしれません。

移動のたびに人にお世話になっております。ありがたい事です。またどこかへ行きますか。

Saturday, August 1, 2009

どこから来たの?

接触有り。


昨日買い物から戻ってきて、自転車を外の入り口の階段の取っ手に、錠前を掛けている時に、どこからか猫がやってきて、アパートの入り口に、ニャアと言いながらゴロリと横たわったのです。

アパートの誰かが飼っている猫で、中に入りたがっているのかと思い、首輪に付いているハート型の小さな金属性の名札を見てみると、3ブロックは優に超えている住所が彫ってあったので、驚き。今までに見たこともない猫で、撫でてあげると、もうゴロゴロ。ジェフリーと同じタイプの猫で、顔の感じからメス猫のようでした。

猫がそんなに知らない人に親しく接するのでしょうか? 多分に私は動物に、自分から積極的に接したりはしません。今回はアパートのドアのまん前を陣取り横たわっているので、何もしないわけにはいかない状態でした。たぶんこのブログ読者の中にも、猫好きがいて、この疑問に答えてくれる人がいるのではないかと思いますが、私には少し不思議な気持ちでした。まるで、ジェフリーがやって来たかのようでしたが、顔は似ても似つかない顔でした。(ジェフリーの化身が来たのかしら~~~。)

動物に好かれる人に、悪い人はいません。(これは動物好きとは少し違います。)もちろん、飼い主は別です。動物は明らかに波動を感じています。波動の安定度、高さ、波の大きさ。それを感じて応対しています。

前に友人が、具合が悪く寝ている時は、飼っている猫が寄ってきて、傍にいてくれるそうですが、単に寝ている時は、猫にほっとかれるという話を聞いたことがあります。それは明らかに、波動を読んで、相手の状態を図っているのです。(猫なんかサイキックなので、波動とかそんな簡単な方法でないやり方で、人間を見てるかもしれませんね。心の中を読まれてるかも。)

動物の方から近寄ってくる人は、それだけいい波動を出しているので、付き合うにはいいかもしれませんね。きっと素直なんですよ。動物は子供が好きですし。より素直になってみませんか。そのうち木とも話しができるかも。