Monday, February 21, 2011

社会見学

驚きの人数と話。


昨日は人に誘われて、サルサを踊って来ました。もちろん、踊れるわけはないので、少しばかりのレッスンを受けて、後は基本ステップで、男性にリードされながら踊って、踊って。気楽に男性が誘って踊ってくれるので、休みなく踊れます。久しぶりに踊りなんていうものをやってので、腰が痛い。そして、今日はスポーツクラブでステップの運動をしたので、もう足が痛い。下半身ぼろぼろです。

今日は色々な事情で、とある宗教法人の大会に出て、会長といわれる女の方の話を聞きました。聞いた感想は、私がとても当たり前だと思う話をしていました。その当たり前は、しつけのような感じの話です。子供は目先の事に囚われないで、伸び伸び育てようとか、満足しないと幸せにならないとかです。

私としては、世間でよく言われている事を、大勢の前で言っているにすぎないと感じ、もう少しそれらに対して、突っ込んだ話をして欲しかったと思いました。でも、500人以上はいる人々が話しを聞いているということは、世の中は、当たり前ということが何なのか薄れている時代なのかと、思ったのです。

もしかしたら、誰も教えてくれなくなったのかもしれません。教わる前に成長してしまって、知らないのかもしれません。もしそうなら、これはえらい事だと思うのです。昔は両親や祖父母、近所の人達などから、教えてくれていた事です。

当たり前の事は、生きていくうえでの、基礎的知識なので、それを知らないとなると、どうやって幸福へと向えるのでしょうか。人は幸せになるために生まれて来る、といっても生きるための基礎知識を知らなければ、その幸せはかなり遠くにある事になります。

人に好かれる人間になれ、笑顔を絶やさない、やれることからやっていく。そんな事柄を大枚はたいて話を聞く。知っているけど、なかなか出来ないなら、気持ちは分りますが、もしそうならば、もう少しどうしたら出来るかの話になると思います。でもそうではない。

新興宗教が今の時代、流行るわけだと感じました。生きるという基本的な事を見失いながら、人生という道を進んでいく。そうなると、不安で仕方が無いでしょう。宗教なので、それだけの話では終らない。浄化がどうのこうの、お布施がどうのこうのになるでしょう。

私の驚きが、多くの人も同じように驚いてもらいたいです。もちろん、新興宗教が基礎知識を教えるだけではないと思いますが、生きていくうえでの基礎知識は、新興宗教で、大金を出して教わるものではありません。人々の助け合いの中で、教わるものです。人生の先輩方々から、教わるものです。

私は新興宗教には、参加しません。参加しなくても、違う方法でいくらでも学べると思っているからです。古い知識には色々なヒントが、隠されています。だから、歴史の中で淘汰されながら、生き残っているのですから。それに、どの人の中にも、真実を知る鍵を持っているのですから。


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