Thursday, November 25, 2010

休養

養生してます。



先週一泊二日の千葉県の温泉旅行に行って来ました。父が亡くなってから初めての家族旅行です。今回は新しく家族の一員になった、義理の妹と初めての一夜を過ごしました。

家族揃って(実際には揃ってないですが)の旅行は、どれくらい久しぶりなんでしょう。ともすると、20年ぶりになりますか。実際に旅行に行ってしまうと、月日のギャップは感じられないのですが、ふとある時、弟の隣に居る人は誰?という不思議な感覚になります。

久しぶりの温泉旅行は面白かったので、また温泉に行きたいです。次は最低2泊3日して、一日温泉三昧をしてみたいです。体温を上げて、免疫力をアップさせる。退院して気が付くことは、足が冷えることです。以前はそんな事はなかったのですが、足先が冷たい。あ~血の巡りが悪いんだ~ 半身浴でもして冷えを取らないと、病気になってしまいますよね。

ニューヨークシティ時代にアパートに住まわせていただいていた、友人のYさんが、旦那さんと一緒に千葉県の大喜多町にお店を開いているので、旅行の途中で昼ごはんを食べに行ってきました。

お店は、動物性の食材を一切使わずに、食材にこだわり、麹などの発酵食品を使うなどの創作料理屋さんです。久ぶりのヴィーガン料理に、ほっとしました。

病院食はヴェジタリアン用に、私が栄養士さんに頼んだもので、そもそもヴェジタリアン用の食事がないので、決まったメニューを朝昼晩毎日食べていました。当然飽きるわけで、それでもなにせ選択が無いので、食べ続けました。だから、歩けるようになると、外に出て何か違う食べ物を探しに行くのです。

そんな生活をしていた後なので、お店での食事はオアシス。体に潤いです。

お店はYさんのセンスが生かされ、いい感じです。これから、ますます発展していって欲しいお店です。

Monday, November 22, 2010

暖かい

手編みの温もり。


退院してきました。いろんな方に心配をお掛けしました。ご声援ありがとうございました。

シャバは寒い。いつも快適な温度に設定されている建物の中にいたので、温室で育てられたものが、外に出てきた感じです。

まだまだ歩きは完全でないので、毎日散歩でリハビリしてます。

実家に戻ってきて、また新しい環境での生活。長年住んでいた所なので、慣れるのは難しくないです。

しかし、久しぶりに母親との生活は、時の流れを感じさせます。お互いに年を取って、会話がちぐはぐ。母は主語のない話をするので、私は彼女が何について話しているのは分らないまま、聞いてうなずく。私は私で、ときどき会話の中に、英単語を日本語発音で混ぜてしまうので、母は意味不明のまま聞いているのでしょう。

それに、思うようにならない足に、もどかしい。家にいると元気だった頃の感覚に戻って、その気でいると、体が追いつかない。何でヘコヘコした歩きをしてるんだろう、なんて思ったりして。

退院第一打にマフラーを編みました。寒さ対策です。冬物を一つもアメリカから持ってこなかったのと、母の友達に手編みの帽子を頼んだので、買った毛糸の余りで編みました。何かを作るのは面白いですね。

Friday, November 12, 2010

意識の外に回答がいっぱい

 自分の作ったテストは難しい。


とうとう明日退院です。4ヶ月の病院生活は長かったです。季節が2つ(夏、秋)飛んでしまいました。そして、今年ももう終わりに近づいていて、しゃばに出たら、生活も年も新しく始まる感じですね。

今では、歩行はだいぶよくなり、杖が無くても体の振れが少なくなってきました。右足の付け根辺りの外側(傷口の辺り)の筋肉が、かなり弱くなって体を支えられないので、歩くときに上半身が左右に振れていました。その事を、私の担当のリハビリの先生は、「ピョコタン」と呼び、私は「ヘコヘコ」と呼んでいました。

杖をつかないで歩き始めた頃は、ペンギンのような歩き方で、手をペンギンの羽のような感じでバランスを取り、ピョコピョコ小幅で歩いていました。それがそのうち、足幅が広がり、体を振って歩く。股関節から歩くのではなく、骨盤を体ごと前に出して歩く。

このピョコタン歩きがいつまで続くのか、いつになったら、余り疲れず歩けるのか分らないので、もどかしさがいっぱいでした。もどかしくなると、走りたくなります。もちろん、走ることなど出来ないのですが、走ってしまえば、右足が前に出やすく、体を支えられるような気になるのです。

入院最後の1週間で、だいぶ歩きが良くなり、足も軽くなってきました。階段も比較的スムースに上れるようになり、病院の階段を1階から8階まで上がり、リハビリの先生もハアハア。そうなると、リハビリというより、トレーニングです。

何事も序々に出来るのではなく、ある時、あれ?出来きてる、ようになります。陶芸もやっているうちに、あれ?作れた、とステップの長い階段状に進歩していきます。

目覚しい発展期は、昨日出来なかった小さい事が、今日出来てる状態になります。まるで細胞が修練していて、いろいろなデータをはじき出して、筋肉を作り、この動作にはこれが必要と、回復させてる感じがします。歴史は夜作られるといいますが、体も夜作られているようです。

入院してつくづく思うのは、意識という私が分っていることは、ほんの少しに過ぎないということです。細胞などの体、自分に起こる出来事、自然も含めた環境、自分の周りの人々等が、私を中心に成り立っているにもかかわらず、私自身はよくわからないのです。

いまの時期、病院から見える夕日がとてもきれいです。遥かに富士山も見えるので、山のシルエットもふくめて、空が織り成す、美しい色の色彩、コントラストが、ものの見事に映し出されます。病院の食堂から一望できる、夕日の景色は、実家に帰ってからは見られない風景です。退院前に私に見せてくれている美しい夕焼けは、まるで贈りもののようです。

まるで私の為にとでも言いたくなるほどですが、そう言って何が間違っているのだろうかと思います。意識の私が知らないだけなのかもしれません。本当に私への贈りものなのかもしれません。感じるのは私ですから、そう思うほうが幸せを感じる気がします。

もうそうなると、世の中は自分の為に成り立っているのだと言っても、過言ではないのと思います。

他人が見ている世の中と、私が見ている世の中は違うのです。誰でも同じ所に住んでいても、見ている世界は違うのです。しかも、意識は自分が思っている世界を全部把握していないのです。

また、人のことを言い表すのに、例えばある人は品のあるかないかで評価したりします。たぶんその人にとって、品があるか無いかがとても重要な位置を占めているのでしょう。私は基準を面白いか、面白くないかで評価し、品があるかないかはさして問題にしません。きっと私は面白い人間になりたいのでしょう。そうなると、同じ人なのに、それぞれの評価が変わってきます。本人は何も変わってないのです。

そうなると、人々も自分の為にいるのです。なにせ勝手にこちら側で判断しているのですから、同じ人でも、人によって見方が違って、都合よく判断されて、その人自身については、誰もわかりません。ただ、他人どうし比較しやすいので、人は本人の知らない面が見えるのは確かですが、それもその人の本質を見ていることにはなりません。

世界も人々も自分の尺度でみているのですから、自分の為にあるのです。しかも、意識は自分の為にある世界も人々もすべてを把握していないので、把握していない部分に出会うと、問題が生じたように錯覚します。でも、すべては自分の為にあり、自分自身が作りあげているのですから、問題は何もないのです。

困難にぶち当たったら、意識が把握していない部分にさしかかったと、思うのはどうでしょう。把握してしまえば、もともと自分で作りあげているものなのですから、どうにでもなるのです。乗り越えられない、回答がでないものは、作り上げたりしないものです。

知恵は把握していない部分の、謎解きに使うのにあるのかもしれません。全てを知っていたら詰まらないので、知らない部分を作る。知らないと知りたくなるので、勉強する。人生は自分で作った問題を、自分で解いているのかもしれません。

Sunday, November 7, 2010

歩ける喜び

欲は向上の始まり。

退院が間近なので、そろそろ入院記も終わりに近づいてきました。ブログの話の方が実際の状態より遅れているので、話が飛びそうですが、入院記の続きです。

水中歩行の訓練をして、足が歩く動作を思い出してから、序々に歩けるようになりました。筋肉が低下しているのと、すごい痛みを1ヶ月間体験していたので、筋肉が収縮していて、筋肉の柔軟性が無いために、歩行が困難。掴まるものがないと歩けません。

それでも、車椅子は卒業して、歩行器を使って歩く練習です。この歩行器、スイスイ進むので、
腕を歩行器に置き、体重を乗っけて、スタスタ歩けます。まるで、歩行器が歩いてくてれ、私の足は前後に動かしているだけの様になります。あ~楽チン。

歩行器に頼って歩いてしまうので、歩行器を手に軽く持つ感じで歩いて、と言われても、その様にして歩くのはキツイので、スイス~イと滑るように歩いて、病院内をあっちこっち行きます。

そんな事をしているうちに、杖を持たされ、杖を突いて歩く練習に移行してきました。杖を左手に持って、えっちらおっちら歩きます。杖を突くのに力が入るので、手も痛い。右足に体重を乗せきれないので、体がかなり揺れます。ヘコヘコ歩いてます。

歩ける距離が出るのは筋トレ次第と言われ、地道な筋トレが苦手な私は、漫画を読みながら、足上げ、テレビを見ながら、ストレッチと、ながら族方法で、やっていきます。

だんだん歩ける距離が長くなってくると、嬉しいものです。リハビリの先生と外に出て、歩く練習。外は道路に傾斜があったり、でこぼこしたりと、病院のようにピカピカの廊下のようにはいきません。

付き添い有りで、外に出て歩いていい許可が出ると、外にでた~い。車椅子で外に出ていい許可が出たときも、外に出た~い欲求が多かったですが、車椅子は何かと不便なので、ちょくちょくは外に出られない。

杖突き歩きになれば、身軽ですから、ここへ行きますと、母(付き添い)を誘います。前回話した、代々木公園でもべジフードフェスタは、歩いて行きました。その時は、無理して歩いて体ボロボロになり、回復するのに、5日もかかりリハビリの先生に怒られましたが、少し無理しないようにと静かに。ほとぼりが冷めた頃、外に出てデパートに行ったりして、足腰が痛い。無理を重ねています。

筋トレより、無理な歩行距離。筋トレは無理してもいいですけど、歩行は無理しないでくださいね、と担当でないリハビリの先生が患者さんに説明しているのが聞こえて、ヤバイ、と心の中で呟く。

実際、無理して痛い思いをするのは、私なのです。それでも、欲望には勝てない。欲が向上心を呼ぶのです。

相変わらず、言われた事が出来ずに、自分の判断でしてしまう私。病院は新宿駅のとても近く。周りには色々な物がいっぱい。今のうちにエンジョイ入院生活。

Wednesday, November 3, 2010

幸運

他人だけじゃない。



入院記。

少し痛い話は休憩して、私の周りの事を紹介。

人間いろんな人がいますが、ここリハビリ科に入院している人達は、ラッキーな人達の集まりです。

入院している人の大半は、脳卒中の方達です。脳卒中は、脳の急激な血液循環障害による症状で、脳梗塞や脳出血一連を脳卒中というらしいです。症状が起きると、体が麻痺します。大概の人は、右左一方が麻痺します。

大脳か小脳での症状でも、体の麻痺差加減が違い、小脳の場合は麻痺度が軽いです。

脳だけでなく、脊髄に問題が起きて、体が麻痺する人もいます。その場合は下半身の麻痺の症状が出ます。脊髄による身体麻痺の人は、脳卒中で身体麻痺の人より圧倒的に少ないですが、この病棟にもいらっしゃいます。

後は、お年寄りの骨折です。これはとてもやっかいで、下半身や背骨を骨折したら骨が付くまで動けない。動けない期間が最低3週間はかかるので、その間に筋肉が落ちる。筋肉が落ちると歩けない。間接も硬くなる。歩くのにリハビリが必要です。

大半の人は、退院する頃には歩けるようになっています。そこが、リハビリのすごいところです。

病棟は東西に分かれていて、介護がそれほど必要のない人達は東棟の病棟になります。私はリハビリ科の中では、軽症なので東棟です。

東棟の人達の話を聞く限り、奇跡的な人が沢山います。この前は15歳の少年が、自転車に乗っていてタンクローリーにぶつかり(大きな通りで渡ってはいけない所で、道を横切ろうとした為。無謀すぎる。)10メートルも飛ばされ、左側の頭を打ち、手術後2週間こん睡状態で、頭の手術を合計3回もして、たまたま左効きだったため、何の言語障害も出なく、すでに元気な状態で1週間この病院にリハビリの為に入院してました。頭の大きな傷は痛痛しいのですが、生きているだけでも、ありがたい。5分遅く手術していたら、死んでいた奇跡君でした。

サーフィンをしに友人達と海に出かけ、みんなが海に入る手前で、脳卒中を起こした20代半ばの青年は、たまたま居た浜辺が、大きな病院の近くだったので、早めに処置出来て、助かったそうです。彼も手術後2週間は昏睡状態でした。

一人の状態で脳卒中を起こし、自分で救急車を呼んだ人も多いです。海外で事故や脳卒中になった人も、結構います。

私も後2日遅く、ミネソタを発つことにしたら、飛行機に乗れませんでした。入院して2日後に、あまりにも痛すぎて、座れなくなってしまったからです。

どの人も、「たまたま」や「運良く」などの言葉を聞きます。でもそんなに都合よく、そんな事が起きるのでしょうか?

ラッキーさんや奇跡君は、実は少数ではなく、大多数がそうなのだと思います。これを読んでいる人も、実はラッキーさんや奇跡君なのです。たまたま今日が生きられたのでしょうか。運が良かったから死なずに済んだのでしょうか。死んでしまった人は、たまたまなのでしょうか。運悪くて死んでしまったのでしょうか。

たまたまなんてありません。運良くなんてないのです。(でも、運良くと思ったほうが、心がウキウキしますが。)そうなると、本当に生きてるその瞬間、瞬間に意味があるのだと思います。

運良くも運悪くもなく生きているのですから、心配御無用ですね。後は学ぶだけです。