Friday, August 5, 2011

本間キネシオロジー マスターコースin Tokyo パート2

愛溢れる。

本間キネシオロジーでよく使われる写真。


Dr. 本間キネシオロジー マスターコース in Tokyoの続きです。

今回の5日間のセミナー中で、ドラマがありました。それを紹介します。

私が受けた7月のマスターコースは24人の受講生がいます。前回のブログで書いたように、職種はさまざま。キネシオロジーに対する気持ちもさまざま。出身地もさまざま。

キネシオロジーを、既にやっているボディーワークに取り入れたい人、家族の健康を思って受けてる人、何かやりたいと思って始めた人、誰かのブログを読んで感化された人。実に色々な動機でキネシオロジーを勉強するものだな~と私は関心しました。

私は今やっているサイキックリーディングに取り入れて、セッションを受けている人が少しでも、体感できる何かがあれば、より早くいい方向へ変えられると思い、ボディーワークと融合することが有効であると考えたので、ピンときたキネシオロジーを習うことにしました。

色々な動機の中に、自分は職もなく引きこもりの人生に、意識下の自分がそこから脱したいと思ってセミナーを受けたA子さんがいました。彼女の動機は彼女の言葉では、とあるブログで本間先生は愛にあふれている人ですと書いてあるのを、愛があるなら、その愛を見せてもうおうじゃないかと思ったそうです。当時の彼女には、愛が溢れている人が世の中にいるのか?と思うほど、彼女は人を嫌い、避け、ともすれば人なんか居なくなってしまえと思うほど、人間不信になっていたのです。

だから、キネシオロジーを勉強にきている人に対しても、誰もヒーラーなんてなれない、誰も救えはしないと思いながら、受講していました。

そうなると、彼女にとってセミナーは詰まらないものになります。覚える事も多いし、あれやこれややらなくてはならない事も多いし、ペアになって練習をするので、人と関わりを持たされるし。辛い日々になっていきます。

ある時(初日だったかな~)たまたま(偶然は必然)隣に座った折に、彼女から私に何を(職業)やっているのか聞いてきました。私は例のごとく、陶芸とサイキックリーディングと答えました。まあ、誰が聞いてもサイキックリーディングなんて怪しいわけで、私もうそう答える人は怪しいと思うでしょう。

大概は、え?見えるのと聞いてきます。で、私は、はい、見えますよ、と答えます。

彼女もそんな感じでしたが、本間先生からサイキックは禁止なんて言われてOFFモードになっていましたが、彼女に対しては何だか少しずつリーディングモードになってきました。

そんなちょっとOnモードで言っている事が、彼女に思い当たる節があったのでしょう。とても関心されました。それからは、帰る方角が一緒だったので、帰り道、電車の中で話しをしました。

私からみて彼女は、繊細なのがゆえ消化しきれない過去の傷を対処出来ず、前向きになれない。それに甘やかされた為に、逃げることへ行きやすい傾向の、私の知り合いの中でも何人かいるタイプの人だと思いました。

一見何事も無い様に見えるA子さんですが、話を聞くとそれはもう鬱です。被害妄想、ネガティブ思考、自信喪失、パニック障害。よく分ります。何せ私も若い時、鬱の時期がありましたから。私は、今は誰が見ても鬱のうの字も見えない人になりましたけど。

セミナー3日目の終わりに帰ろうと誘うと、本間先生に話があるからと言われ、たぶん長くなると感じたので、先に帰りました。

彼女は、セミナーを受け続けることが辛いので、やめたいと言ったそうです。たぶん、本間先生は、話を聞き、彼女を受け止め、話をし、キネシオロジーのセッションもしてくれたそうです。

その時、彼女はそこに愛があると感じたそうです。本間先生が自分を受け入れてくれている。まるで父親のような感じで、愛を注いでくれていると。あふれ出す涙は、止まらなかったと。

会場から出て見た外の風景は、まるで違ったように見えたそうです。彼女が本間先生といたそのひと時は、とても不思議な感覚だったそうです。

次の日彼女はセミナーにやってきました。その日は何だかまた落ち込んだそうですが、あの時の本間先生といた不思議な感覚が、先へ進もうとさせるそうです。

きっと彼女のように、キネシオロジストになりたいという動機ではなく、何か救ってくてるのではないかという動機で、セミナーを受ける人は多いのではないかと思います。

誰しもストレスやトラウマはあります。それを何とかしたいと思うのは、潜在意識下では自然な発想だと思います。きっと、セミナーを受けている全員が、救われたい気持ちがあり、それを基に人を救いたいと思うのかもしれません。

彼女は家(東北)に帰ってから、落ち込むことはしばしばあるそうです。でも私は今回の出来事が、今までとは違う人生を送るための第一歩を踏み出したと、信じています。

本間先生も私も、治すことは出来ません。治すのは本人しか出来ないのですから。ただ一歩を踏み出すための、踏み出してから歩いてもらうための、お手伝いをしているのだと、思います。

自分探求がもしかしたら、鬱を発生させるのかもしれません(探求したら鬱になるという意味ではありません。)何せ鬱になると考えさせられるのですから。何も考えられなくなると人は言いますが、それでもあれやこれや考えてますよ。むしろ楽観的な人の方が、何も考えてない。

考えて、自分は何んであるか探求してみる。そうするとそれは、闇の中で一生懸命に光を探そうとする行為になります。光を見つけたら、それに引き込まれるように、一歩踏み出せますよね。それって凄い事だと思います。光に成れたらいいですよね。いいえ、誰でも成れます。

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