Wednesday, March 16, 2011

地震!パート3

 全ては一つ。


地震の続きです。

何だか日本は大変なことになっています。地震と津波で東北地方海岸線が莫大な被害。それに加えて、原発の事故による危機。放射能汚染の心配は、目に見えないだけに深刻になる可能性があります。

被災地でない東京でも、東電による計画停電や電車の運行路短縮、減運。節電への呼びかけ。ガソリン不足。スーパーでは品不足。パン、米、カップめんは常に無い状態。電池も売っていません。
放射能物質の浮遊や余震がおさまらない状態での不安から、外に出る気がしない。まるで、戦争中のようです(戦争体験はしていませんけど)。非常食がテーブルに置かれ、水の備蓄。家ではヘルメットまで食卓の上に置かれてます。

地震当時の東京は震度5強。私は有楽町交通会館ビルの2階にいたので、凄い揺れでしたが、他の高層ビルよりは揺れが強くなかったと思います。(後で聞いた話では、交通会館ビルは古いのですが、耐震性に優れているビルだそうです。幸運でしたね。)友人から聞いた話では、マンションの10階や14階に住んで居る人は、揺れが酷くて、食器や物が落ちて壊れたそうです。弟はテレビが倒れて壊れたそうです。

一軒屋に住んでいる人は、比較的被害が軽かったみたいです。母は一軒屋に住んでいるので、ほとんど被害は無かったです。凄い横揺れだった事が分かります。高いビルは左右に大きく揺れたんでしょうね。

私が思うには、災害になると人々が助け合うので、人々のふれあいが出来ます。家族の事が心配になるので、家族間の絆が深くなります。今はそれを求められているのかもしれません。人々の絆が世界の平和を生むのではないでしょうか。

とても真面目な日本人は、この災害の中でも、殺略や暴動などがなく、助け合いながら生き抜いていっている。高い安全性を誇っていた日本の原発が、とても危険な状態です。それらの事が、世界に向かっても、発信されて、見習ったり、見直しされていると思います。(現にドイツでは、原発の使用を凍結したそうです。)

第二次世界大戦の攻撃や原子爆弾による壊滅から、戦後数々の災害から立ち直ってきた日本です。今こそ、人々が思いやりをもって、人間の絆を深めるべきです。心の余裕を持つべきです。

地震の当日の深夜の電車の中で、途中から乗ってきたおばあさんに席をゆずらない事が、あってはならないのです。(誰もが疲れているのは分かりますが、せめてこんな時そこ優先順位を考える余裕が欲しいです。離れて座っていた私が席を譲りました。おばあさんの地震後の行動の話を聞きました。赤羽から練馬まで7時間かけて来たみたいでした。母も江古田から家まで7時間かけて帰っていました。脅威的。当時バスは何とか動いていたので、バスを使ったそうですが、その待ち時間と渋滞がすごかったみたいです。私は夜遅くに帰ってきましたが、至って順調でした。)

まだまだ、余震や新たな地震が続きます。何となく私は日本に帰って来てよかったと思います。母を一人にしなくてすんだからです。お互い冗談言って笑っています。一人では笑えないですからね。

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