Wednesday, June 8, 2011

見る角度と意識

意識改革。



東京は梅雨に入るのか、雨の日が多くなってきました。とても久しぶりに湿気の多い夏を過ごし始めます。去年の夏は秋までずっと病院内にいたので、快適な温度しか知りません。今年は去年のような強烈な熱い夏にならないよう、祈りたいです。

NY(NJ)にいる友人が、スピリチャル関係のセミナーやワークショップを次から次へと受講しています。そのたびに、どんなものなのか、感想はどうだったか、聞いています。

話を聞けば聞くほど、人間ってとってもデリケートなんだな~と思い知らされます。

なにせ、産まれる前の母体にいた時に受けたトラウマ、産まれて来る時に感じた感情、産まれてきてから今迄の経験からの心の傷。ともすると、産まれる前の前世からの思いや引きずり、癖。受けてしまった時に治せばいいのに、そのままにして置くが為に、後々影響を受ける。いはやは、一体幾つトラウマなどを持っているのでしょうか?なぜにこんなにデリケートなんですかね?

まだ、これが自分のトラウマだと知っていればいいのですが、大概は知らない。傷付いていて、意識では癒えていると思っていても、実際は癒えていない。

抜け出したいのに、抜け出せないもどかしさにも似た状態を、常に人間は抱えていると思っても間違えはないと感じます。

以前にリーディングのお客様や友達に、魂は傷つかない、と言っていました。これは今でも変わらない解釈です。

魂は傷つかないのです。魂はその人に起こった事を、客観的に情報を集積しています。傷ついたか、そうでないかは、その人の主観で感じるものです。もちろん、トラウマになるのも、受け取り方によるので、受け取り方を違えばトラウマにならない事になります。

そういった意味では、魂は状態をただただありのままを受け取っているだけにすぎません。だから、傷つかないのです。

主観的に見るのは、意識です。意識がその時に感じたものを、受け取ります。それが、無意識の場に移ります。意識は膨大な情報を抱え切れませんので、倉庫に入れるようなものです。

意識が、魂のように客観的にありのままを受け取るのは、たぶん無理でしょう。人間には感情があるので、感情を無視することはできません。感情があるが為に、完全な客観性は望めないからです。

しかし、感情が湧くのも、意識の見る角度によるのです。

意識の見る角度を変えると、受け取り方が違うので、湧いてくる感情も変ってきます。要は意識がどう判断するか、どう受け止めるかによって、傷ついたり、トラウマになったりするのだと思うのです。たまに意識を飛び越えて、判断する事があります。その時の判断は、マイナス感情や方向に行く事はありません。

では、実際に傷ついたり、トラウマになっているものはどうしたらいいのか? 傷ついたり、トラウマになったりした時点まで意識を戻し、その時の場面を想像したり、感情を浮かび上がらせてみます。それをするだけで、渦中にいないので客観視できます。そこで、意識して見る角度を変えてみます。そうすると、その時の感情おが流されていくと思います。

そうなれば、傷やトラウマが癒されます。それだけ、意識が全ての鍵になるわけです。それに、意識が状況を判断するのですから、将来のことも全て意識しだい。

意識を完全にコントロール出来るようになったら、もう解脱の境地です。それだけ難しいのですが、そういうものだと意識があるだけで、だいぶ違うと思います。

私がくどいように意識改革う重要がというのは、全ての鍵になっていると思うからです。意識が変わると、今迄知らなかった、傷やトラウマが解ったり、何かもつれた糸がスルスルととかれ(私はエネルギーが回っていると表現します)、今迄見えなかったことが見え始め、状態、状況が変わってきます。

最終的には、人間というデリケートな生き物の、存在意義も解るかもしれませんね。

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