現実化とオーメン。
とうとう来週の火曜日は、私の誕生日です。もう一年経ったんですね。早い。
2日前に左の中指をパン切りナイフで切ってしまい、それも指先なので、痛い、痛い。手にはかなり気を使っているのですが、指でも切らないと、仕事を休まないので、体がお疲れ限界宣言です。
昨日この指を切った話を、ルームメイトにした時、思考は現実化すると実感しました。私が指を切る前に、仕事の同僚が朝に、マフィンを手の平に乗せて、そこでマフィンをナイフで切った時に、一緒に手まで切った事を、つい最近聞いていて、2日前、私がベーグルを手の平に乗せて、それを切ろうとした時に、その話を思い出し、こうして彼女は手を切ったんだ、と思いつつベーグルにナイフをいれたら、指を切ってしまいました。
ルームメイト曰く、その事を考えたから、指を切ったんだよ、と指摘し、もし考えなかったら、切っていなかったと言ってました。その例として、ある時彼の友人が、手に食べ物(何だったか忘れました)を持って、ナイフで切ろうとした時に、彼がそんな切り方をすると、手を切るよと言ったとたんに、手を切ったそうです。彼がそれを言うことによって、友人はその事を一瞬考えたために、起こったとだと言ってました。
なるほど、まさしく思考は現実化するのです。思い当りませんか、こうするとだめだろうな~と思ったとたんにそれをしてしまう。何かやろうとして、急に考えが浮かんで、失敗するなと思えば失敗し。これは上手くいくと思えば、上手くいく瞬間。私は今まで、予兆だと思っていましたが(確かに予兆です。その考えがふと浮かぶのですから。)、思考は現実化するいい例でもあったのです。
私が指を切った時は、同僚の手を切った事が、漠然と浮かんだのではなく、こうやって切ったなという確信にも似た感じがありました。これはそれなりに詳細な情報が、頭の中にあり、それが浮かんで(思考して)、現実化したと考えています。
思考が現実化するときは、どうしても詳細な描写が必要です。これなくしては、現実化は難しいです。
以前に神様に何か頼むときは、できるだけ詳しく頼みごとを描写する必要があると、書いた事がありますが、この思考が現実化するのも同じです。現実味が有れば、有るほど、早く現実化します。
ルームメイトがその友人に言ったとき、友人の頭の中には、手を切る瞬間が現実味を帯びて、頭の中に浮かび、そして体がその方向へ動き、手を切る。まるで、頭の中のナビゲーターが急にこっちですよ、と行く方向を変更したので、そっちに行ってしまったといった感じでしょうか。ルームメイトが、彼の頭の中のナビゲーター(思考)を刺激していまったのは、なんとも不注意なことですが。
めったやたらに、人がやっている時に、口を挟むと、その方向に行ってしまう可能性が大きいということです。本当に危ないのであれば、はっきり止めさせるよう、行動しないとだめですね。言葉は思考を動かすだけですから。人の忠告を素直に聞く人であれば、別ですけど。
思いっきり詳細入りの、ポジティブな思考をしましょう。そうすると現実化して、うれしいかも。やばいと思ったら、本当にやばいです。即中止か変更です。
ま~私が手を切ったのには、理由があったのかもしれませんが、手を切るぞと思った瞬間に止める事が出来るような、瞬間的な予兆に従うことが出来る訓練をしたいですね。だいたい手のひらで、何かを切る考え自体に問題がありすぎるのですが。
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