Tuesday, October 5, 2010

予定通りですか

 すでに決まっている人生物語。

まだまだ続いてます入院記。

悲劇のヒロインの気分とはまた別に、この股関節が痛くなり、日本帰国、入院のハプニングを、結構無理して努力しなくても、受け入れる事ができました。それは、事前に人生のシナリオに書かれていたと思ったからです。なにせ、物事が良い、悪いは別として、スムースに進むので、これは必然なんだと感じることが多かったです。

飛行機に乗れた事。あと2、3日遅れていたら、座っていられなかったので、飛行機に乗れず日本に帰れなかったです。チケットを取った日は、丁度ルームメイトに時間が有った日でした。彼が居なかったら、本当に帰れなかったです。背負って2階から降りて、タクシーが乗れる所まで連れていってもらいました。飛行機の座席も変えてもらい、出入り口とトイレの近くで、両隣の席を空席にしてくれました。それも彼がスタッフに説明してくれなかったら、なかなか出来なかったです。車椅子はゲートの待合所の椅子に座ったら、持っていってしまったので、そこから動けない状態でした。もちろん、それだけでなく色々してくれました。

日本に着いてからも、急に母が2人の叔父と連絡がついて、叔父達が迎えに行ってくれることになり、次の日の病院行きも母の友達の娘さんが車を出してくれて、一旦今居る病院を紹介してくれるとの事で、小さな整形外科の病院に行って紹介状を貰い、3連休前の金曜日だったので、連休後に今いる病院に行って下さいと言われたのを、もう痛くて家に帰れませんと言えば、相手の病院のお医者さんに交渉してもらい、その日に受け入れて貰えることになり、救急車で移動して、緊急入院出来きました。

それに入院も、内科の11階病棟の方が整形の10階病棟の方より、患者さんの動きが無くて、静かにしていられました。整形外科病棟の患者さんは、みんな一部骨か関節が故障しているだけで、とても元気な人がほとんどなので、自主練習で廊下を歩く人、話したり、笑ったりする人達が多く、動きがある。内科は具合の悪い人が多いので、動きがないです。周りが元気だと、動けない身としては落ち着かないのではないかと、思うのです。

緊急入院、手術にしても、入院の3ヶ月前に父が亡くなりましたので、父が入院中に使っていたものが、そのまま私の入院にも使え、亡くなる前に買って一つしか使っていない紙おむつも、何故かそのまま私が使い、手術室に行く前に着る浴衣も、父のお古で間に合いました。何で父のお古を私が使うのか、全く持って変な気持ちです。3ヶ月前に病院で寝ている人を、見舞っていたのに、今度は自分がベットに寝る方になって、見舞われる方にまわるなんて、何の因果なんでしょう。

思わぬほど入院が長引ていても、ミネソタでの仕事は辞めてきたので、仕事の心配をすることはなく、いつまたアメリカに行けるか分らない常態だったので、8月末に引っ越してしまうルームメイトに、8月始めに、私の部屋の荷物を、借りているセルフストレージに入れてもらい、アパートから撤退したので、荷物の心配もない。制約はあるけれど、ゆったりした生活を病院でして、今年の東京の猛暑の夏は、エアコンの効いた病室で過ごす。

お盆に帰ってきたので、多くの人が父が呼んだんじゃないと言われ、私自身もそんな気がすると言っていました。もうこの入院生活は人生の一ページを色濃く塗られているので、シナリオが出来ていたと言うしかないです。

シナリオに書かれていたのであれば、それを受け入れざるを得ません。あれだけ手術はいやだと思っていたのですが、1ヶ月も物凄い痛みと一緒にいれば、早く手術してくれという気分になるし、11階病棟から10階病棟に移される時、始めの2週間は、入るはずの大部屋に緊急の人が入ったので、私は無料で2週間個室に入り、手術の前後を快適に過ごせる事ができました。その後は大部屋に移され、その時には車椅子で移動できたので、おばさん相手(股関節置換を受ける人は、ある程度年をいった人が多いです。原因が加齢によるものが、多いからです。)に話しをし、冗談言ったり、情報を得たりと、楽しく過ごしました。

大抵の人工股関節置換をする人は4週間で退院ですが、私の場合、まだ歩けないので、4週間後にリハビリ強化のため、6階のリハビリ病棟に移動しました。病院内で引越しが多く、私の人生そのままです。

さすがに具合の悪い時期は、悲劇のヒロインでしたが、良くなるにしたがって、悲劇が喜劇に変わっていき、明るく生活して、今や私は入院が長いのと、原因不明の病気で、一部病院内では有名なので、、色々な人に会い、沢山の人に世話になっています。まー普通じゃぁないですね。この普通でない事も、私らしいので、いつもの事のように感じます。

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