Wednesday, October 6, 2010

ルームメイトがいっぱい

一人では生きていけない。

リハビリが始まるまでは、入院中は暇です。暇なのだから本でも読もうと思っても読めない。直ぐに疲れてしまうし、内容が頭に入らない。読む気がしない。本を読むのは思っている以上に、体力がいる作業なのがわかりました。

まず始めは、ミネソタに居たころ、意を決して買ったI-pod touchで音楽を聴きまくってました。このI-podは急に欲しくなり、勢いで買ったものですが、まるでこの入院の為に買ったのではないかと思うくらい、買っておいて良かった一品です。ビデオも見られるので、アメリカに居たと時にI-podに入れてあったビデオを見て、楽しむ。インターネットが使えなかったので、新しいものは入れられなかったので、同じものを繰り前して見ていました。

任天堂DSゲームも、ベットのお供に。

そのうち弟がDVD本体+DVDを持ってきてくれたので、映画を見て過ごし、同じ映画を何度も見て、疲れたら寝るといった具合でした。

車椅子で移動できるようになってから、病院に置いてある漫画を、片っ端から読んで、読むのがなくなった頃に、本を読むのを始めました。本を読めるようになったら、だいぶ快復した証拠です。

時間つぶしのアイテムの使用頻度で、どれくらい快復したか図れるくらい、それぞれの使用期間がありました。今やあれほど聞いていた音楽は余り聞いてません。

読んだ本の中に、「江戸塾」杉浦日向子著があります。この本に、江戸時代の庶民は、病は未知の世界から来たメッセージなので、何か用があるから訪れているのであって、その用件を聞いてからお帰り願う。だから西洋のように病は駆逐する「闘病」でなく、「平癒(へいゆ)」であると。病気と付き合っていくという考えでした。なんて、素晴らしい考えなんでしょう。

それに、江戸では町自体が一つの大きな家みたいなものでした。町全体を自分の家として使いこなせるように、住民がお互いに工夫し合った。なにせ人口が多い。当時山手線内側で120万人住んでいて、1800年代のNYCで人口6万人。

庶民の家は狭く、リビングは風呂屋の2階、食事は屋台。風呂屋に行って、家は寝床。火事が多かったので、物をさして持たずに生活。これぞのときはレンタル。困った時は回りが助けてくれる。子供は町の共有財産なので、町の人々が面倒をみる。町中の人々が共存し合っている。

入院もまるで学生寮。個室もありますが、家族でもない人達と、部屋、風呂、シャワー、トイレ、食堂を共同で使用。ここの病院は、患者さんや職員が使用する公共浴場があります。裸の付き合いも出来るわけです。皆励ましあいながら、生活しています。

それこそ私が常々考えている、共存です。病でさえも共存していく。すべてのもの、すべての人との共存は、基本であり、共有は中枢をなして地球上に生きていくものだと、思っているのです。

世界中が共有しながら、すべてのものと共存していく日は、いつ来るのでしょうか。共存するには、相手、物事を知らないとできない。でも知れば信頼が生まれる。きっと知らない事が多いんでしょうね。

2 comments:

  1. 調子はいたって良好です。リハビリに励んでおります。毎日が筋肉痛です。

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