Saturday, August 15, 2009

クイズの回答者

解答を探せ。




昨日は運良く映画”スラムドッグ ミリオネラー”を見ることが出来ました。以前からいい映画だからと、薦められてはいましたが、なにせ貧乏人なので、無料で見る機会を得ないことには見られません。だから、昨日見られた事は運命ですね。見た方も多いと思いますが、この映画はとてもお薦めです。

見て欲しいので映画の内容は余り書かないことにします。要はスラムで住む子供が成長して、ミリオネラーというクイズ番組に出る話です。それプラス恋愛も絡んで、実に良く出来た作品です。しかも、人生の真実が隠されています。そう言う意味ではスピリチャルですね。

始めはとても貧しい子供が、何とか生きぬいていく姿のたくましさに、自分はまだまだ甘いな~と思うのですが、見ていくうちに、あ~人生の真実があるな~と思ったのです。

クイズ番組の問題が、主人公の男の子の人生に直結して、回答を彼の人生の回顧に見出していくのです。そうです、人生の全ての出来事が、自分の人生の課題の解答に結びついるのです。

ひとつひとつの出来事が、気づきをもたらせる為にあるのです。気づきは解答です。だからこそ、すべての出来事には意味があるのです。

クイズや宿題の様に問題が提示されたら、解答を得るために問題について調べますよね。インターネットで調べたり、本で調べたり、人に聞いたりと色んな方法で解答を求めます。

人生もその様なもので、各人が持つ人生の主題や課題について、経験、体験という方法で答えを求めています。だから、すべて人生で起きることは無駄なことは一つも無いと言う事です。問いは一つではなく(大まかなものは一つかも知れませんけど)、関連して幾つもあるように感じます。なので、一つの体験がどの解答に結びついているのか分りにくく、しかも主題や課題が何なのか分らない所に、人生をミステリヤスにしています。

もし、問いが何であるか分っていたら、人生面白くないかもしれませんね。答えを得易く経験値が低くなる。頭ばかり働かせてしまい、心が置き去りになりがちになる。

ここが、上手く作ってある構造で、問いが分らない分、心(感情)を働かせないと問いが何であるか、問題が何であるかが分らない様になっている。なぜならその問いは自分の中にあり、問題の解答を得ようとしているにも関わらず、その問題が何か意識の上では分らない。解答を得た時は同時に問いが何で有ったのか分るようになっている。それでも、大まかな問題は自分なりに分っているのだけど。たとえば、恋愛、人間関係、親子関係、金銭関係などなど。(まるで記憶喪失の人が、記憶を取り戻すために、一つ一つの体験を検証するようなものですね。本人には記憶の装置があるのに、それを作動させるために、色々と体験して検証して、装置に油を挿すような感じです。)

もし辛いこと、嫌なこと、苦しいこと、好きなこと、楽しいことが起きたら、それは答えを得るために必要な事なのです。そしたら、嫌なことでも大した事では無くなりますね。後で役にたつのですから。

人生はその問題、解答、経験を得るためにあるのでしょうか。そうだと思います。いつも何かを探しているような感じを持つことはありませんか。思考あり、洞察力があるなら、それをただ生きていくためだけに使うとしたら、十分すぎると思うからです。

もちろん、人生は楽しむ為にあり、幸せを感じる為にあります。それは基本中の基本です。それでも、辛い事が起きたりするのですから、楽しくない、幸せじゃないと思うことしばしばあると思いますけど、でもそこには経験する幸せや楽しみがあるのです。何も心配はいりません。心配が一番よくありません。ただリサーチ中なだけです。

映画の中で「運命」という言葉がしばしば出てきます。全ては運命なのです。命を運んでいるのです。映画を昨日見ることによって、ブログに書くことが出来たのも運命で、それに遵っています。

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