Thursday, July 23, 2009

何を知る人ぞ

ソクラテスかプラトンか。みんな悩んで大きくなった。


映画「Powder」(パウダー 1995年)を見ました。いい映画ですよ。泣きました。

胎児の時に母親が落雷にあい,アルビノ(白子)で生まれた少年ジエレミー(ニックネーム、パウダー)は不思議な目の色,驚異的な知性,そして超常的な力とを持っていた。心優しい孤独な少年は不気味な外見と不可解な力を持つゆえに苦難の道を歩むことになる。

この映画の中で流れてくる音楽が、図書館から借りてきたアルバムCDの中に入っていて、その曲を昨日偶々(偶々=必然)聴いて、大学院時代のことを思い出しました。大学院の陶芸のスタジオでよく聴いていた、サラブライトマンのアルバムCDの中にもこの曲が入っていて、その曲が流れたときに友人がこの映画の事をいっていたのを、思い出したのです。以前に見たことがあるのですが、再度見ることにしました。

ラストシーンの辺りで、人間は無知の知を知ることが重要だと思ったのです。知らないことが多すぎることを認識すべきたと。一昨日に自転車に乗っているときに何故だか、無知の知、という言葉が頭の中を駆け巡り、無知である事を認識する知識があって始めて、真の知識を得られるのではないかと思い、ソクラテスはいいこと言うな~と扱ぎながら思ったのです。そのことを思い出して、いろんなものがリンクしていると感じました。

パウダーは外見上の異質の為に、他人の接触なしに祖父母に存在を隠すように育てられました。故に純粋さや自然からの感受性を保ち続けること出来たのではないかと思います。祖父母が亡くなった時に、外部に出なくてはならなくなり、そこから苦難が始まります。人々の偏見、いじめ、超常現象に対する恐れ、目に見えない力の懐疑心が彼を襲います。それらは、自分が無知であることの認識のない行為です。偏見は相手を知らない恐怖への代用。いじめは己を知らない恐怖の為、超常現象の恐れはまだまだ浅い科学への依存、目に見えない力の懐疑心は自然共存の欠如です。まだまだこの世界それらが横行していて、映画の主人公のような人間は生き辛くなっています。

我々はまだまだ何も知らないのだから、それを自覚することによって、謙虚になり、真の知識を入れることによって、それらが横行しない世界が創れるのでしょう。無知であることは恥ではなく、無知であることを知らないのが恥じであると思うのです。真の知識は日常に転がっています。バカだな~と思う前にそれが当然なんだから、学べたことを感謝したいです。もしかして、バカほど感謝できる?

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