Thursday, June 18, 2009

ミクロとマクロ 2

無限の中にいる我々。

私は子供の頃から星を見たり、宇宙の本を読んだりするのがとても好きで、星座への興味から色々な神話の本を読んだりと、なにかそこには真実が隠されていると思っている子供でした。そして常に一つの概念の視点で物を見てはいけないと考えていました。理論物理学者 のスティーヴン・ホーキング(Stephen William Hawking )の著書を読んで、あ~この人は神を知っていると思ったものでした。

友人Mが、いろいろな人がスピリチャルな事の質問を持っているが、なかなかその質問を誰かにし難いし、適切な回答も得られにくいと言っていました。M自身も長年いろいろなスピリチャルな質問や人生に対しての質問を保持していたけど、その回答が得られず人生のなかで苦しい思いをした話を以前してくれました。その苦しみは不安を呼び起こすのだととも言うのです。彼女なりの回答があってもそれに確信がないので、急にこの先の事で不安に陥ったりするのだそうです。私と出会ってから、事あるごとにMの質問の回答をして、M自身確信が持ててだいぶ楽になったそうです。Mは宇宙の法則や精神世界についての真実を知りたいと常に思う気持ちがある人なので、常に回答を模索している人です。私も子供の頃から、真実について考えたりしていましたが、近年私はその類の質問が余りないのに気が付き、なぜなのだろうとMと話をしていました。

私にはMの質問の回答がわかり、Mも納得しています。私はものすごくスピリチャルな勉強を誰よりもしたわけではありません。でも回答が浮かぶのです。その回答に何故か正しいという確信があります。Mも質問を持っていたり、質問が浮かんだりするのですから、M自身とてもスピリチャルな人です。Mから実際いろいろな事を学んでいます。たぶん私の回答の情報は宇宙から来ているのではないかと、お互いに推測しています。M曰く、私は宇宙と交信して情報を得ていたり、宇宙視点から真実を考えるマクロ派タイプであると。方やMは人間や自分の事に注目して、自分はなぜ存在しているのか?この自分の感情は何なのか?などを考えたりして、身近である自分を通して真実を追究しているミクロ派タイプであると。しかもたぶん多くの人がミクロ派なのではないかと。

ミクロ派タイプはまるで細胞レベルまで行くぐらい突き詰めて、突き詰めて、最終的には終点という点を求めている感じになり、でも実際は終点は無いので先が見えない不安に陥ってしまい、それ以上怖くて進めない状態に陥り易くなるのではないかと。しかし、細胞も宇宙なのでミクロ派が追い詰めている先は宇宙であると気が付けば、無限が広がり不安も恐怖もなくなる。でもなかなかそこに気が付かないというより、実感がないため苦しくなる。

マクロ派もミクロもまた宇宙なりが解らないと、自分というミクロの世界を知ることを疎かにしがちになる。それによって自分を見失ったりする。両者が宇宙であると解るとすべてが繋がるので無限な世界が広がっていく。

私の体験で、グランドキャニオンにいってトレールをした時、砂漠地帯で水分補給が出来るか出来ないかで死に繋がり、風景が何万年の歳月で出来上がった彫刻のような場所を歩いていると、まるで自分の細胞がとても大きく感じられ、広大な土地が小さく感じ、大きさの大小が無くなり、長さも、重さも、時間さえ無い感覚になった時に、世の中に大きいも小さいも無いように、すべてのスケールが無く、時間も無いことに気が付かされました。それが宇宙であり、真実であると思ったのです。たぶんそのときにミクロとマクロの関係を実感し、両者が繋がったのだと思います。それ以後、私の特殊能力は開発されました。

マクロ派としては、ミクロ派がもつ質問をタイプが違うので、持たないことにMと共に気が付きました。私自身とても安定した生活を送ってないのにも係わらず、凄い不安に陥ることはないです。世の中はなるようにしかならないからです。後は意思の問題になってきます。

無限はミクロとマクロが結びついて成り立っているように思います。そうなると、神や生命はミクロでもあり、マクロでもあるのですから、自分の近くにいることは間違いないです。しかもすべてはミクロとマクロで成り立っているのですから、すべては無限なのです。肉体ですら、自然の中では土になり、それがやがて生命の糧になり循環していくのですから、無限なのです。無限とはある一定の法則によって、次元もなく、終わりも無く始めも無い場所で生命が動き回っている生命のパワーのような気がします。ならば生命ある限り無限のパワーを引き出せるという事ですね。ならば、人生楽しめる。

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